05


ルンルン気分だ。甘いお酒が好きな私に、チェインさんがオススメの1本を教えて持ってきてくれた。チェインさんは私の酒癖の悪さを知っている。アルコール度数の低いものを選んだと言って渡されたそれは胸に抱えるには少し小さく、曇ったガラス瓶の中でオレンジ色が揺れた。女子が好きそうで、言い方を悪くするとなよっちい。誰かに意見を聞いたのかもしれない。
ありがとうございます!と勢いよく言った私の顔がすごくハジけていたのか、チェインさんは「簡単すぎ」と呟いて私の肩を一度叩いた。
ラベルに書かれたアルファベットは可愛らしい丸文字で、直訳すると妖精がナントカ、という意味だ。裏面の説明書きによると、妖精の魔法にかけられたような陽気で素敵な時間を楽しめるようにと願いを込めたのだそうだ。製作者の願い通り、素敵なお酒だった。口の中に残る甘さはオレンジのムースを思い出させ、デザート感覚で飲める。
本当ならばひとりで飲んだりはしない。私はお酒がすごくすごく好きで飲まないとやっていられない!というわけではないし、これの賞味期限だってまだ先だ。しかし貰ったからには、なるたけ早く感想を伝えたい。チェインさんとメールのやり取りをする絶好のチャンスでもある。
というわけで、私はひとりで栓を開けた。
スマホ片手にソファに座り、リラックスしてにまにまと頬を緩める。大雑把すぎて自分に呆れがちな私も、せっかくの宝物をマグカップについだりはせず、気に入って買った薄い色のグラスを使った。特別な気がして余計に嬉しい。
チェインさんにメールを送ると、電話がかかってきた。時間は夜の10時を越える。わざわざかけてきてくださったということは、もうお仕事は終わったのだろう。
もちろん、出た。
「もしもし、です」
「チェイン。……おいしい?」
脈絡はある。
「すごいおいしいです!」
「どんな味なの?」
「甘くてトロッとしてて、オレンジって感じです」
「そうなんだ?今度飲んでみようかな」
どんなお酒を飲んでも絵になるのだろう。
「それとも、を誘って試飲会でもしたら良かった?」
「こ、これから今度しましょうよ!」
「言葉がおかしくなってる。何杯目?」
チェインさんが察した理由で舌がもつれたのではないが、弁解にもならない弁解をして私のがっつき具合を暴露するのもいかがなものかと思ったので飲んだ量だけを答えた。多くはないだろうと思ってはいたけど、確認すると普段の私から見たって手ぬるいほどの減りだった。この度数のお酒のこの量で酔っていたら、お酒を酌み交わして夜通しはしゃぎ回る学生コミュニティでは生きづらい。どうやって飲酒量を減らすかだけを利己的に考えドリンクメニューを手元に確保し、その領分でのみ場を仕切るのだ。私は夜道で吐きたくなかったし、冗談でも隙を見せて気のない男からべたべたまとわりつかれたくなかった。必死である。
「チェインさんのお仕事はおしまいですか?」
酔っていないと証明するように、話をまともな方向へ押し込む。「んー」と答えに迷うチェインさんの、喉の奥から抜けるような声は淡白に聞こえるが、当たり障りのない部分だけでも真面目に回答しようとしているのだとわかって顔がだらしなくなった。お酒のせいだけではない高揚感は、これまでに幾たびか数えた憶えのある感覚だ。
「おしまいかな。おしまいだから、私も飲んでる」
「あっ、すいません、邪魔ですか?」
「邪魔だったらかけてない。、ひとりでしょ?私もひとりだから、話そうよ」
チェインさんがお仕事を上がったとき、スティーブンはまだ秘密組織の机にかじりついていたそうだ。手を出せることはない、と判断したチェインさんは建物を後にし、かけつけ1杯から夜を始めた。
そんなオフモードのチェインさんと他愛のないお話しが許されるなら、頭を下げてでも喋りたい。
「このお酒はどこで買ったんですか?」
「家の近くにあるショップ。可愛い系のが多いの。林檎とか桃とか、さくらんぼ味もあったかな。勝手にオレンジにしちゃった」
「好きだから嬉しいです。さくらんぼ味もおいしそうですね」
「と、思ったんだけど人気みたいで、残りは少なかったわ」
さくらんぼ味と言われて思いつくのは季節限定のジュースだ。それにアルコールを混ぜたものならきっとおいしい。
ひと口、ひと口とお酒を口に含んでは飲み下す。チェインさんと話をしながら飲んでいるのだと思うと、耳元で聞こえる彼女の透き通った声や息遣いでも酔ってしまいそうだ。私はいったいどういう方向に走り始めているのか。バレたら電話を切って距離を取られてしまいそうだから心の平静を保つよう自分に言い聞かせた。姿が見えないからこそ相手を強く意識してしまうのだ。
「チェインさんは……えっと」
「今日はビール」
言葉足らずな質問でも、チェインさんは理解してくれた。すごいと思う。秘密組織の人たちは頭の回転がとんでもなくて会話が非常にスムーズに進むが、こんな楽な察され方に慣れてしまったら今後の私は見知らぬ人との会話で苦労する。
「ビールですか!そういえば私この間、初めてニュムシュモネビールを飲んだんです。チェインさんはニュムシュモネをご存知ですよね?」
チェインさんが短く肯定した。
ニュムシュモネビールとは、異界発祥酒類のひとつである。私が飲んだものはピンクニュムシュモネと呼ばれ、細長い瓶とピンク色の綺麗な発泡液が特徴だ。そのままだと苦くてとても飲めたものではないが、瓶ごと火にかけるとスッキリまろやかな味わいになる。1本あたりの値段が少々お高くとも飲む価値はある。
「緑のほうは飲んだ?」
「そっちは品切れでした……」
グリーンニュムシュモネは激しく振るととろみがつく。チェインさんはこちらのほうが好きらしい。
「噂じゃ、黒もあるみたいね」
聞いたことも見たこともなく、私がニュムシュモネを飲んだお店では話題にも上らなかった。
「どんな味なんでしょう?」
「中毒性があるって聞いたわ。滅多に出回らないのはそのせいだとか」
好奇心旺盛な無謀者が在り処を探さないよう、黒ニュムシュモネは業界内のシークレット事項に指定されている、なんて予想も遠くない。中毒になるほどのおいしさとはどんなものだ。おいしさ以外の中毒性について考えるとゾワッとしたのでやめた。
「でも、ニュムシュモネならが飲んでも安心だね。アルコール、ちょっとだけだし」
チェインさんの基準と私の基準は大きく大きく異なるが、これは同意見だった。ニュムシュモネビールの度数は、どんぶりに雀の涙を垂らしたくらいだ。
「これくらいなら、飲んでて急にお仕事!ってなっても運転できますか?」
「そうだね。強引にアルコールを抜く薬もあるから過敏にならなくても平気だけど、ニュムシュモネは余裕」
「へえー」
法にも触れない。
「誰が運転するんですか?スティーブンが運転するときがあるっていうのは前に聞いたんですけど」
「んー……、うーん、そうね、ギルベルトさんとスターフェイズさんの割合が高いかな」
なんでもできるのだなあ、と記憶に残る細身を思い出す。ギルベルトさんは万能だ。秘密組織でクラウスさんの執事として傍に仕える(……らしい?)のだからただの執事ではないのだろうが、危険な事件現場まで車を運転してメンバーを運ぶ大役を頻繁に担うということは、まさかいざというときは戦ったりもできるのだろうか。
温厚そうな姿に騙されてはいけない、と思ったところで、チェインさんが淡々と何かを飲み(……まだビールかな?)、言った。
「ふたりとも飛ばすよー」
私も手酌でおかわりしながら訊き返す。
「飛ばす?」
何をだ。
英語では的確な動詞で表現されていたのかもしれないが、私の耳には玉虫色の日本語が届いた。
「車。超緊急だとスゴいよ。気にしてらんないからさ」
「『スゴい』って、どれくらい?」
「ダイ・ハード」
英語通りの意味だったのか映画のタイトルだったのかは微妙だが、洋画のテレビ放送は私もたまに見ていた。幸か不幸かそのせいで、爆発したり吹き飛んだり車同士がぶつかり合ってタイヤが外れたりフロントガラスが粉々になったりする映像が浮かぶ。
あのギルベルトさんが、と優しげな眼差しとのギャップを切に感じてつらくなる。秘密組織は本当に、本当に全員が強い。
「スティーブンもですか?」
「ミスター・クラウスの発射台、みたいなトコもあるしね」
「は、発射台?」
なかなか聞かない言葉だ。丁寧な運転ぶりからは想像できない荒っぽさである。彼らが相手取る事件だとか敵だとかのヤバさが伝わってくる。
「でもスティーブンは……」
無事故だと言っていたような、と言いかけて、会話が過った。
「あっ」
いつだったか、忘れようにも忘れられない外出で車に乗せてくれた(……くださった)とき。私の疑問への答えは確か、『そういうことになってるよ』だったような気がする。大破させることもあるけど一応、無事故。
「どうしたの?」
「あ、いえ……」
黙り込んだ私を気遣う声に乾いた笑いを返した。本当は?本当はどっちが彼のリアルな運転なの?
声高に自信を持って『どんなあなたでもすべて受け入れるわ!』とは言えない矮小で根性なしの懐が浅い私は、もしもまた私を乗せてくれる(……くださる!)機会があるんだったら、そのときはサービスたっぷり、オブラートばっちり、猫被り大歓迎で安心安全な走行をお願いしたいなと思った。だって、怖いものは怖いのだ。

チェインさんとお話しをしていると時間の進みが速い。私のトークはきっとつまらないし、どんなネタなら盛り上がれるか迷ってばかりでおぼつかない話ぶりにもなってしまったが、あちらが「あ」と呟くまで声は途切れなかった。
どうやらチェインさんのほうのお酒が切れたようだった。酒気で色艶が増幅された声が澄んだ音色で細くうめき、ガサガサと紙やビニール袋や布をかき分けるような音がする。カラン、と缶が倒れる音も聞こえた。
「飲み切っちゃった。は……そこまで酔ってもない?」
「はい」
元気よく返事をしてから『酔ってるかもしれない』と自覚したが言わなかった。言ったってどうしようもない。チェインさんに心配をかけるだけだ。家の戸締まりはきちんとしているし、徘徊したり開放的になったりする酔い癖もなく、そもそもちゃんと意識を持って会話ができている。うむ、これくらいなら、酔っていたとしても片付けをして眠るだけだ。
声がふらふらしていなかったためか、チェインさんは私を疑わなかった。あるいは、疑わしく感じても大事にはならなそうだと判断して表に出さなかった。
「1時間半も付き合わせちゃった。眠いでしょ」
「大丈夫です」
は日付が変わる前には眠くなって寝てそうなのに」
どこでそんなイメージがつくのか。
私たちはどちらからともなく夜の挨拶を口にした。
これから、チェインさんはお酒を買いに出かけるのだろうか。お酒が好きでお酒に強いというのは隙のない布陣だ。寄せられる側としては堪ったものではない期待と尊敬の念をひっそりと抱いた。
洗い物をしてテレビを見てから寝よう、と決めて立ち上がる。もうすぐニュース番組の時間だ。元の世界では朝食と夕食の時間に(……家族がつけているのを)流し見するだけだった報道番組も、こちらでは生きるか死ぬかに関わらなくもない内容を報じるので定期的に真面目に見るようにしていた。新聞は読むのに時間がかかるが、音声ならスルリとわかる。日々変化する地区生存率、のさばり始めたヤンキーの縄張り、どこぞの国の政治家の汚職。どれかがおそらく重要だ。
ゆっくりとはいえ長い間お酒を飲んでいたせいか、酒瓶を冷所にしまって屈み込んだ拍子に足の感覚が弱くなった。お気に入りのグラスを慎重に洗い、濡れたそれは一晩放置して乾かす。
テレビをつける前に歯を磨き、鏡に映る自分の肌つやがいつもと変わらず保たれていると確認して満足する。ヘルサレムズ・ロットで有名なブランドの乳液を使ってみたが、肌荒れショックはなさそうだ。このブランドは高価で、自分からは手を出さないけど、バイト先の人が試供品の小さなパックをいくつか手に入れて分けてくれた。原材料名だとか成分名だとかは読めないが、開封時に香ったツンとする感じは漢方に近そうだった。塗ってしまうと無臭に変わる。

テレビのある広い部屋で、お水を飲む。冷たさが体内の火照りを抑えた。やっぱり、酔っているっぽい。
ニュースキャスターが台本を読む目の動きは素早い。内容よりもそちらに気を取られ、抑揚のない声と型通りに構成された単調な番組が、酔った私の頭をぼうっとさせる。思考能力がより薄れ、洗脳されるような気持ちでグラスから手を離し、座っていたソファに脚を上げて身体を倒す。
ここまで眠くなったのだから部屋に行ってベッドで眠ればいいのだが、一歩でも動くとこのうっとりする心地よい眠気がそっぽを向いて消え去ってしまいそうだった。それは、もったいない。身を任せたら絶対に気持ちいいのだと、私は20年と少しだけの時間をかけて学んだ。
天井のライトから顔を隠すように自分の腕枕に顔を埋め、ちょっとだけ、ちょっとだけ、と言い聞かせて目を閉じた。すぐに起きて部屋に行くから。


番組が変わり、画面の中ではヘルサレムズ・ロットの夜景が控えめに輝く。
鍵か何かがガチャリと鳴り、玄関の扉が開く。微睡みにノイズが走った。私はすぐに『おかえりなさい』と言いたかったが、不義理にも眠気を優先してしまった。お酒は地味に回っていて対抗できない。
足音が近づいてくる。
「なんだ、まだ起きて……」
言い終える前に私の身体がソファと同化しそうなことに気がつき、彼は「ああー」と感情の読み取りやすい声を上げた。夜が更けてご飯を食べてシャワーも浴びたなら部屋で寝ろと言いたいのだろうし、実際に何度も言われてきた。ずっと前に一緒にオセロをしてくれたとき、チョキがグーに勝てないのと同じように決まり切った負けを噛んだ私は、『スティーブンを待たずに寝る』と約束もさせられた。しかし決して待つつもりで寝ているのではないのだ、……というのは言い訳だろうか。
「君、風邪引くぞ」
私はもぞもぞと頭を動かした。
目を開ける気がないと見て、今度は肩を揺すられる。
「具合でも悪いのかい」
衣擦れの音と声の近さから、ソファに近寄ったスティーブンが床に膝をつき、私が手を伸ばしさえすればこのまま目を瞑っていたって抱きつけそうな距離にきたことがわかった。外の匂いがする。外気や、街中かお仕事場で誰かがくゆらせた煙草の残り香だ。
ゆるゆると首を振る。飲みやすくて甘いお酒と楽しい長電話に酔ってしまっただけで、とっても健康だ。枕にする自分の腕に頬がこすれた。
無言ででも、不調で寝込んでいるのではないと伝えることはできたようで、スティーブンはこちらの髪を優しく撫ぜてから綺麗に察した。
「何杯飲んだんだい?」
「わかんない……」
でも、この『わからない』は酒豪的な意味ではない。肉の脂と炭火の爆ぜる音がトラウマになりそうな夜のように泥酔してもおらず、自分で歩けるし喋れる。重くて眠くて億劫なだけだ。
私の返事をどう捉えたか、柔らかい声が降る。
「週初めから飲み過ぎるなんて、君もなかなか悪い子だ」
普段なら子供をからかうような言い方にムッとしたかもしれないが、今はとろとろに甘く煮込まれたような気持ちになった。勝手にほろ酔いになって醜態を晒す私に、お仕事帰りの彼が付き合ってくれているのが、申し訳なくも嬉しかった。のろまになった神経でも、絶対に取りこぼさない喜びだ。
ゆるすぎる顔を綻ばせ、うっすら目を開ける。灯りが眩しいのかイケメンが眩しいのかがわからない。
「家で飲んだんだよな?」
「そー」
「何か美味そうなのを見つけた?」
どこで、とは言われなかったが、私が宅飲み用のお酒を見つけられる場所はスーパーマーケットくらいだ。触っていいよと言われても、興味があっても、スティーブンの棚には触れない。自分の粗忽さはよくよくすっごくわかっている。
「ううん、チェインさんにもらったの」
「チェインに?そりゃあまた……」
彼は沈黙した。アルコール度数の高さを想像したのかな。チェインさんがよく飲む人だというのは周知の事実。貰ったお酒は『チェインさんからの贈り物』という色眼鏡を通すと二度見してしまうくらい低濃度だったのだが、誰の弁護にもならなそうだ。スティーブンは「良かったな」とだけ言った。
「さあ、本当に風邪を引くよ。起きて部屋まで歩けるかい?」
「あるけない……って言ったら抱き上げて連れてってくれる?」
眠くて力が抜けた声だ。後から考えると恐るべき発言である。よく言えたものだ。そして、よくスティーブンの反応を悠長に待てたものだ。図太い自分を尊敬する。
「歩けない?」
「あるけない……」
私はぼんやりとスティーブンを見つめながら、このへんで『ハイ、終わり』と投げ出されるかと思っていたのだが、そうはならなかった。
仕方ないなあ、と言うふうな彼の表情には、ワガママな小さい子をあやすような色がある。ダメと言われなかったからこそ恥ずかしい。
しかし、うそです、と緩慢に起きようとして浮かせた背にしっかりと腕が回り、ぐっと抱き寄せられ、『そうだこれはものすごく密着する!』と気づいたときが密着しているときだった。服を無視すればゼロ距離でスティーブンの体温を感じられ、酔っ払いのくせに一丁前にドキドキした私はぎくりと身をこわばらせたが、なけなしの冷静さをかき集めて考えると、これは明らかに落ちたくない高さだ。
ふと、乙女心が不安になる。
「わ、私、重い?」
「持てるよ」
「あまりにも雑!」
安心はした。
こわごわと身を任せてみる。今までにいったい何人の女を平穏に抱き上げてきたのかは知らないが、いつだってこの力強さと安定感でハートのラブを盗み取ってきたのでしょうね、と拗ねそうなほど刺激的だった。惚れるしかない。心の内側をえぐられるような快感だ。
煩悩丸出しでスティーブンにすり寄ると、外の匂いに混じって、知っている彼の匂いがあった。
念のため訊いた。
「私って……大丈夫?」
「歩けないんなら、あんまり大丈夫じゃあないんじゃないかな」
そういう意味ではないが、いい。
「だ、ダメな場合のサポートはどこまで?」
「ドアを開けられないからここまで」
「ええっ」
嘘か真か。彼なら第三の手か念動力でも持っていて、赤子の手をひねるよりも簡単にドアを開けてしまえそうなのに。
私を床に降ろしたスティーブンは、自由になった手をドアノブにかけた。閉めなければよかったかも、と不満そうにした私をベッドの横まで連れて行き、廊下から射し込む明るさを頼りにナイトランプをつける。
私は彼に見えないように唇をとがらせた。こんな大迷惑なワガママや甘ったれは褒められたものではないが、心が蕩けそうな一瞬が惜しい。
しかし、これ以上引き止めて彼の睡眠時間を減らすことはまかりならない。私はもう充分に構ってもらって、蜂蜜のようなサービスまでしていただいた。
ありがとうございます、と言ってベッドに入る。
「あ、ケータイ……」
テーブルに置きっ放しだった。
寝転んだ瞬間に起き上がろうとした私を、スティーブンが止めた。
「急がないなら、後で持ってきておくよ」
「わ、ありがとう。ごめんなさい」
止められなかったら独力で歩けることがバレていたなと気づく。最初からバレバレだというのは、いいとして。
つけたときと逆方向につまみをひねると、電球に吸い取られるようにして明かりが消える。
「寒くはないだろうけど、冷えないようにな」
「うん、ありがとう」
スティーブンは、しつけが効いて聞き分けが良くなった犬猫に向けるような感じで私を褒めた。叶うならばあと数ランクは上等な扱いをされたい私だったが、犬猫のほうが手がかからなさそうだなとも思う。

「あ、ねえねえ、スティーブン。もし冷えちゃったら、あなたが抱きしめてあっためてくれる?」
部屋を出ようとしたスティーブンを呼び止める。
寝る前に、もうひと言ぶんでいいから彼の声を聞きたかった。きっかけも話題もなんだってよくて、最新のキーワードに引っかけただけの稚拙な問いかけだ。
彼は笑いながら振り返った。
「悪い子だなあ」
そう言ってから、私に二度目の『おやすみ』を送る。
一歩遅れた私の『おやすみ』を受け、彼は手を振ってドアを閉めた。
毛布にくるまって、首を傾げる。
そんなに悪い発言だっただろうか。酔ってるにしてもワガママすぎた?
べたべたな口実しか作れなかった私の悪あがきが見抜かれたのかもしれない、と結論付けて目を閉じた。



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