02


書店でツェッドと会い、成り行きで一緒に買いものをした。本の袋を手にぶら下げて「それじゃあ」と別れるのも愛想がない気がして、ジェラートを買って公園で食べる。
私は人といるのが好きで、ツェッドとももっと親しくなりたい。会話に困らないよう、あれやこれやと目につくものの話を拾う。お仕事の合間に散歩する社会人の大変さだとか、それに関連して、秘密組織の忙しさについてだとか、ツェッドのバイトのことだとか、私の服装のチョイスへの評価だとか。
「お似合いです」
ツェッドは褒めてくれた。
さんはどうやって服を選んでいるんです? 店で見てすぐに、これだ、とわかるものですか?」
「こっちでは、雑誌とかで雰囲気つかんで見にいくのが多いかなあ」
「あちらでは、お店で?」
「うん。友だちとだと、話しながら見るのも楽しいじゃん?」
「なるほど」
ヘルサレムズ・ロットには、ウインドウショッピングができるような知り合いがいない。行きたい人とは事情と予定と好意のベクトルが合わない。チェインさんを思い浮かべた。メールはしてくれるのだが、プライベートでの無理なお願いなどできない。
買った雑誌の表紙を見せる。差し出すと、彼はパラパラとめくって読んだ。
「僕には遠い世界ですね。女性向けだと、アクセサリーや化粧道具なんかも特集されてるんですか」
「あ、メイク道具あった?どれ?」
目立つ写真の説明書きを追う。
ある一文で、私とツェッドの声が重なった。
「なぜこんな機能が必要なんですか?」
「ヘルサレムズ・ロットにもあるんだ!?」
私たちは、同じ写真を見ていた。
リップスティックだ。元の世界の日本で見かけたものと似たつくりのようだった。
その実用的ではなさそうな特性に興味を持ってくれたツェッドを付き合わせ、私は雑誌に載るのと同じ型番のものを買った。今週のお昼ご飯は、節約する。
店の外で封を開け、ツェッドの目の前でつけて見せると、彼は「綺麗ですが、やはり、なぜ?」と感心しつつも怪訝そうに言った。私にだって理由はわからないが、つけたときに楽しいから、とかではないだろうか。

くるりと回して明かりのほうへ向ける。パール系のつやめきもあって、指ほどの太さの短い筒は、女子が好きそうな色に輝いた。
買ったはいいが、いつ使おう。バイトのときはつけない。休日に出かけるときか、100万年に一度あるかないかのデートのお供か。ネタになるから、レオと会う日には持って行こう。
減りは遅く、使い切れないかもしれない。しかし懐かしくて面白い。ポーチに入れておくだけで気分が上がるアイテムなら、価値はある。
色も可愛いチェリーピンク。保湿成分が含まれており、グロスがなくてもうるうるで長持ちの優れものだ。
本日二度目の無駄遣いとなるが、もったいながらずに塗って遊ぼうか。手持ちの服と合わせる、夕食後の暇つぶしである。
クローゼットを開け、何着か試す。駄目元のコーディネートもリップを塗るとすとんとおさまる。意外と勝手がいい。満足した。
ウェットティッシュで色を落とす。家着を着直し、部屋を出る。
スティーブンはソファで本を読んでいた。
近づいてわかったが、彼が目を通すのはただの本ではなく、カタログだった。
「なに?カタログ?なんのカタログ?」
「ギフトのカタログだよ」
さり気なさを装い切れない図々しさで彼の隣に座ろうとする。途中でやめた。いいのかな、と躊躇ったその瞬間が負けるときだ。
突っ立っていても迷惑になりそうだから、離れた椅子に腰掛ける。
「誰にもらったの?」
「仕事関係の人。付き合いで出た食事会で、参加者に配られたんだ」
食事をしに行ってカタログギフトまでもらうとは。 訊いてみると、秘密組織がその人たちに行った支援(……人命救助?とかかな?)へのお礼に、と招かれた場でココロヅケの贈りものをされたのだという。
「どんなのがあるの?」
「普通に、皿とかグラスとか。見るかい?」
「みる」
できるだけがっつかないよう自分に言い聞かせ、隣に失礼する。彼は私に冊子を渡そうとした。
「一緒に見ようよ!」
もらい主のスティーブンが見ずに私が見てどうする。それともすべて読んで、どれにするか決めたあとなのか。
彼はまだ、最後まで見てはいなかった。短く否定し、私のために、1ページ目から開きなおした。こちらが見やすいように角度を変えてくれたが、私はそれを言い訳に、彼に腕が触れてしまうような距離まで接近した。甘みが胸に広がり、喉がキュッとなる。おうとつがなくツルツルする折れやすい紙の冊子は、このときだけ、どんなに高価で貴重な財宝と引き換えにしてやると言われても、何代も続くお金持ちの一家の遺産をやると言われても、ちっとも心惹かれなくなるブツに変わる。私の中では誇張ではない。この時間はすごい。
自爆した私はカタログどころではなくなったが、近寄ったことにも挙動が怪しいことにも、何も言われなかった。
カタログには、黒塗りのワイングラスや(……何に使うんだろう)、死にかけの植物が(……直径20cmまでなら)たちどころに緑を取り戻す薬液、異界のマンガリッツァ豚と呼ばれる生き物の鮮肉などの写真が並ぶ。アクセサリーやペンなんかもある。カタログに載るものは、撮り方がいいのか、どれもこれも高級に見える。
「スティーブンは何がほしいの?」
「君だったらどれが気になる?」
「私? 私はこのバスミルクセットかなー。 『初めて海を見た少年の記憶の香り』とか、よくわかんなすぎて逆に」
「『躓いた君に手を差し伸べた、青い瞳の少女の香り』とかな」
ちょっと想像できるかも、と思わせるのが集客のコツなのだろう。
他の香りも、名称からイメージを膨らませる。もしもスティーブンの香りがあるとしたら、どんな名前がつけられるのか。発想に乏しい私にはピッタリのフレーズを見つけられなかったが、もしもあるなら、私は絶対に買うと思う。本人がいるのだから土下座のひとつでもすればいいのでは?と悪魔が私に囁いたけど、それができれば、私はこんなに胸を酷使しなくて済む。
だが、一理あるとは感じたので、こっそりすり寄った。血の巡りが急回転した。ラブ的本能を優先すべきか、緊張を訴える五感に従うべきか。離れた。
「僕は何もピンと来なかったから、そのバスミルクセットにしようか」
「え!?私、そういうつもりで言ったんじゃないよ!これはスティーブンのカタログじゃん!」
「わかってるよ。でも、要らないものを無理に頼むのも、カタログごと捨てるのももったいないだろ。君と僕がいて、僕は何も要らなくて君に欲しいものがあるなら、君の欲しいものを頼むのが自然じゃないか?」
「そ、そうかもだけど」
彼へのギフトだったのに、彼の得がひとつもない。バスミルクなんて、私しか使わない。いや、使うスティーブンも想像できるといえばできるけど。そのとき、この人はどの香りを選ぶのかな。『クラウスさんが飲む紅茶の香り』とか、『ザップさんが自腹で買って差し出した予想外な善意の香り』かな?そんなものはない。
どうしたらいいのかと困りはしたが、ここで頑固になっても、カタログが放置されて期限を迎えるだけだ。スティーブンは不要なものを増やしたりはしなさそうだ。
「じゃあ、食べものとかお酒は?それだったら分けられない?」
「欲しいやつがあるなら、それでいいけど」
飲食物のページにめぼしいものはなかった。これこそ、無理に頼むのは損だ。
「……バスミルクください」
「赤のセットと青のセットの、どっちにする?」
2種類を比べたが、瓶の色の好み以外の判断基準はなかった。目的である香りについては、あの名称からでは正体が伝わってこない。
「『スティーブンの香り』があったらそっちにするのにね」
「僕の家で僕の隣に座っていてその台詞が出てくるっていうのは凄いな」
確かにおかしい発言だった。
「でも、それを使ってから寝たらすごいいい夢を見られそうじゃない!?」
なにせ、好きな人の香りに包まれて眠るのだ。いやしかし、眠るだけで終わらせて満足か?
「早起きして朝に使ったら、1日中、全身でスティーブンを感じられる?で、でもそんなのフツーの顔してられるかな?変態みたいでダメかな?」
「そうかもしれないなあ。赤と青のどっちだい?」
「どこ!?どこに同意したの!?『変態』のところ!?」
答えてくれなかった。
うーむ、と悩んで色を伝える。スティーブンは「あとで注文しておく」と頷いた。
用済みとなったカタログをテキトーに開く。本来の目的は消えたが、これに目を向けるそぶりを見せるうちはこのままの距離で居ても合法だ、と思いたい。
男女どっちでも選びやすいよう、性別に関わりなく使えるものが多く載るが、数ページは、それぞれどちらかに傾くアイテムで埋められている。華やかなカラーページには、メイク道具が。リップスティックもあった。
不意に思い立ち、私は少しだけ席を立った。どうせだから昼間の買いものを見せびらかそう。自分の買ったものを誰かに見せたがるなんて、他人が想像する『女子』そのものだ。私は女子なのである。
部屋からポーチを持ってきて、また、スティーブンの隣に座る。今度は非合法にテイショクしそうだったので間を空けた。
「見て見て、可愛くない?」
彼は私がどんなにつまらない話をしても耳を(……だいたい)傾けてくれるのだが、今日も丁寧に詳細を訊いてくださった。購入に至った経緯を話す。
おそらく彼は知っていると思うのだが、元の世界にもあったこういうリップの存在にワクワクした気持ちが蘇る。ポーチから小さな鏡を出し、彼からちょっと顔をそらして、口紅をササッと薄く塗った。透明なリップグロスで唇を潤わせただけにしか見えない。
「スティーブンはこういうの、もう知ってるよね? ツェッドがすごい不思議がってた。『これは必要な時間なんですか?』って」
ツェッドの疑問は私の疑問でもある。
グロスをのせた部分は、果実が熟す早回しビデオのように、ゆっくり鮮やかに時間差で色づいていった。
チェリーピンクだし、薄く塗ったし、キレイ!ではなくカワイイ!という感じがする。鏡をポーチにしまう。
「へえ。僕も初めて見る」
「そうなの? あ、誰もスティーブンの前でメイクとかしないもんね」
彼の前に出る女性は全員が完全武装済みで、こんなジワジワした変化は、短い逢瀬においてはじれったいだけだ。
「可愛いよね、こういうの」
「うん、色も似合ってるよ」
「ありがとう!」
ピンク色のスティックもポーチに入れた。
「このピンクはポピュラーで、結構なんにでも合うの」
どうにも大人っぽくなりきれない私にはなおさらだ。美麗さから遠いのは顔面のせいか、言動と頭脳が甘いからか。
チャックを閉め、横に置く。このポーチもそろそろ代替わりさせよう。かなり長い付き合いである。
スティーブンを見上げ、「保湿効果もあるらしくて!」と、なんでか私が自慢げになった。イイ買いものだったから、嬉しさを伝えたかった。
「だからぷるぷるに……」
声が、吸い込まれるように消えてしまう。
だしぬけなぬくもりと柔らかさが私を麻痺させた。支える(……支えてくださる?)彼の手の力強さも遠く感じる。
無防備だったから殺されるのか、殺されてしまえば、どんなに守りを固めていたとしてもなかったことになってしまうのか。歴史には『殺された』という結果しか残らない。
唯一、バスミルクはどの色でもよかった、とだけ思考がフラッシュした。
短い時間だったらしい。どろどろに爛れまくった私が彼に教わった呼吸の仕方を忘れて、思い出すまで。窒息しなかったので、たぶんそうだ。無意識にちゃんとできていたのかもしれないけど、だとすると自分を褒めたい。
私はソファに倒れ込まないよう、手をついた。支えが離れる。
「ほ、保湿効果があるらしいよ」
「それはもう聞いた」
彼は自分の唇を指で拭った。手を見る。それから私に訊いた。
「ついてるかい?」
白黒点滅しそうな目を皿にして確認したが、色はない。
「ついてない」
「良い口紅だ」
「そ、そうだね?」
どの着眼点から出た評価?女性目線でもブランド目線でもなさそうだ。いかなる経験に基づく話なのやら、聞きたいようで聞きたくない。はぐらかされるだろうが、その裏にはとにかくずらずらと女の(……男も……?)名前が並び連なる。イロメガネで見すぎか。
というか、そのためだけに?今あなたがやったように指でこすったらいいじゃん。そこだけ実地?
手鏡で見てみると、本当に、ズレもにじみも掠れもなかった。このリップスティックすごい。いやいや、スティーブンがヤバい。
「知らない口紅だったらとりあえずキスするの?」
スティーブンは心外そうに目をすがめた。
「しないよ。僕は変質者か?」
「だって、したじゃん!今!私に!口紅じゃなかったら私にしたことに、……私にしてくれたの!?」
「そうだよ」
素晴らしいリップスティックだ。これを塗ったらなぜかやっていただけた。キスしてほしいときは塗ろう。珍しい発色の仕方に、グッとくるものがあるのかもしれない。
……即座に前言撤回するのは心苦しいが、断言するけど、グッとくるものはないだろう。所詮はカガクの現象だ。この人物はどんな美女のどんな仕草にグッとくるのか。慣れすぎていそうな上に、ビジネスで心を動かされるのはよろしくないのでは、と考えると、誰を相手取るよりも、クラウスさんの純粋な言動に感動を噛み締めていそうだった。
手をうろつかせて、彼の気をひく。
「ま、また、やってくれる?」
覇気のない声で叩くと、「うんうん」と深い頷きが二度、響いた。
「そのうちな」
「やりっぱなしで投げないで……!」
そっちからやってきたのに、騒ぐとスルリと避けられる。彼はとってもきめ細かな配慮と気遣いで親切に優しくしてくれる反面、たまに、こう、彼を大好きな私が必死こくさまをエンジョイしては……。
最後まで考えるのはやめた。やる気は毛頭ないけど、縋りついて揺さぶるのもうんざりされそうだから却下する。怖い。
オトナの『そのうち』は無いのと同じ。通説であれといつも祈る。こないだから先延ばしにされまくっているし、今日はいくつかの意味で、強めに祈った。



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