05


かつて私は己の夢見がちな色欲に負け、フラフラと踊り回り、みっともなく懇願し取り乱した。顔面が凄絶に美しかったときのことである。
今も、成長したとは言い難い。過去も未来も現在も、すべての私は等しくアホだ。ダメな一貫性のある人間だ。
根性も勇気も忍耐も健気さも頭脳もぺしゃんこで、度胸なんかは吹けば飛ぶ。
何度もかいた恥と、社会的人生と人間関係の崩壊への危機感をかなぐり捨て、ようやく手に入れた権利もうまく活用できない。彼のベッドで眠らせていただくことである。
薄い色のシーツに寝転び、天井を見上げる。
私は、いつになったら踏み切れるのだろう。
私はスティーブンが好きだ。とても好きで、好きで、好きだ。
彼も、私を嫌いではないはずだ。これで嫌われていたら人間不信になる。他人なんて一生信じるまい。
目いっぱい高く見積もって、最大限に自惚れると、私は彼に好かれている。これが気のせいだったら自己嫌悪で死にそうだ。自分なんて一生信じるまい。
名も知らぬ呪いが解けて、再び家に置いてもらえるようになり、今の私はトキメキと胸キュンと心臓の甘くてキツい痛みに責め立てられる日々を過ごしている。
思考は空転し、逡巡が実を結んだためしは少ない。単純に私が認識できなかったせいで逃した重要な出来事も、ままあっただろう。賢くないというのは本当に損だ。勉学の話ではなく、生まれ持ってか、訓練の賜物かで得られるはずの、人生を形作る色彩を増やすそれが、致命的に私に足りない。物事に興味を持ってケンシキを広めればよかったのだろうか。まだ間に合うと信じよう。
私は、元の世界では要領よくやっていられたが、表面上だけでのことだった。ヘルサレムズ・ロットでは無経験を痛感する。
恋愛も、うまくはやれない。駆け引きとはなんだ。できるのは自分に素直になることだけで、そして大雑把に言うとこれが私を失敗へ導く。私の選択は往々にして誤っている。道には迷わないのに。人生はカイタクするもの、的なやつだからかな。
スティーブンに頼りきりなのも情けない。なにかできないかなあと思うが、私にできて彼にできないことが思いつかなくて困る。パパには好評だったひざまくらも要らんと返品された。だよね、としか言いようがない。私はスティーブンのひざまくらがめちゃめちゃほしいので、需要と供給が成立しない悲しみが渦巻いた。
自分の願いだけを並べ立てると、私はスティーブンとずっと一緒にいたくて、できるならばハグがしたくて、叶うならキスがしたくて、あわよくばしっぽりいきたい。4つのうちの3つは実現した。事実だけを数えると、4つ全部が完了しているのだが、なんていうか、愛がほしいのでノーカンとする。あのときはそれがサービスだとはわかっていなかったけど、知ってしまうと指折り数えづらい。
思い出はそっくり残っている。残っているから諦めきれない。愛が。愛が!好意がある状態で! 高望みなのだろうか。
しかし、高望みであっても、無謀な願望であっても、待っているだけではダメなのだ。踏み出さなければ。踏み出して、駆け出して、体当たりしようとしてスーッと避けられて転ぼう。避けるのはあっちの自由で、走るのは私の自由である。若さは免罪符だ。恋愛軽犯罪くらいならいける。
ただ、念のため、土下座のイメトレはしておこう。


お魚をグリルするヴェデッドさんにお料理の練習をみてもらって、褒め言葉に浮かれてニコニコする。ぬるぬるなものになんて触れなかったのに、今は異界の、なんだろう、……イカみたいなやつから内臓を引き抜ける。さばける。ちょっとだけ上達した。
という話をして、スティーブンのお皿を指差した。
「このうちのどれかを私が切ってる。たぶんこれ」
「ああ、うん、たぶんこれだな」
うろこと小骨はヴェデッドさんが取ってくれたから、食感は問題ない。
どうしてお肉料理と魚料理でワインの色を変えるのか、などという超絶今さらな質問をしたり、チェインさんから送られてきた写メの話をしたりする。チェインさんからの写真には、『えっこれどこから撮ったんですか!?』と目をむくアングルの風景が写っていた。私が送り返せるのは、カフェの新作メニューの写真くらいだ。今度行く、と返事があってすごく嬉しかった。
「今回のメニューはパフェなんだ。これくらいの大きさで、かけるソースが変えられるの。それなりに人気だよ」
「どんなソースがあるんだい?」
「赤と、紫と、緑と、チョコ。チョコ以外の味は、キッチンと、食べた人しか知らない」
「店も客もチャレンジャーだな」
味見は怖くてできなかった。

夕食を終えて夜を迎えた空間で、ヴェデッドさんと別れた私たちは、順番にシャワーを浴びてから、私はワインが効いたのでカモミールを飲み、スティーブンはもう少しだけお酒を入れた。
「それって味があるお酒?」
「甘くはないよ」
私の訊きたがった部分を見事にすくい取った回答だ。
「ひと口ほしい」
彼はあっさりグラスを渡してくれた。ちびりと分けてもらう。甘くないがからくもなく、香りが強い。返す。感想は求められない。テンプレートのやりとりすら投げやられた。あっさり渡してくれたのも、喋るのがめんどくさかったからかもしれない。対スティーブンの私がウザいことは自分でもわかっている。物分かりがよいふりをして、頬杖をついた。
スティーブンがお酒の瓶のキャップを開けて、また少しグラスにそそいで閉めるのを見ながら、目を細める。
「惚れ惚れするほどカッコいい……」
声が恍惚としてしまった。カモミールは私を何ひとつ落ち着けてくれない。
「スティーブンさん」
「ああー、言いたいことが読めた気がする」
「すごい!隣で寝させてください!」
「やっぱりな。好きにしていいよ」
「ありがとうございます! なんでわかるの?」
「顔に出る」
好きな人の布団にもぐりこもうとするときの表情は、鏡に映したくない。受け入れてもらえた今の笑みも劇物に近そうだ。
私のほうは、彼を見つめるだけで頬がゆるゆるになり、眼が浄化される錯覚に陥る。度を超えると瞳からダイレクトに伝わる熱量に耐えられなくなった頭までもがゆるゆるに溶けるので、用法用量は守らなければならない。いつも限界を見誤るが、今日は大丈夫だろう、と根拠皆無の確信を胸に宿して視線を向け続ける。あちらは別のことをしていたが、私がしつこかったせいか顔を上げた。目が合う。
「好きだよ」
まさかいきなりそんなことを言われるとは思いもよらず、反応が遅れた。
「……えっ!?」
頬杖のバランスが崩れた。ぽかんとする私を眺めたスティーブンから、『……まあ放っておいていいか』みたいな気配がして目線が逸れた。放っておかないでほしい。

ドキドキさせられたことと、ベッドにお邪魔するお許しをいただけたこと以外は、何も変わらない夜である。
先に寝室にお邪魔し、夜くらいはゆっくりのびのび質良く眠るためであろう大きなベッドの一角を占領する罪悪感と背徳感に締めつけられた喉元を押さえた。ごめんなさいを3回言って、もぐりこむ。これが最後かもしれない!と言い聞かせると、良心に責められても断念できない。自分本位である。
自分本位な私の脳裏に、最近考えたことが蘇る。
あの男は非常にヨユーだ。切羽詰まる理由がないんだから、そりゃあ悠々と構えていられるだろう。
進退の舵は私にある。あっちからすれば、私がそれを切ろうが切るまいが、どちらでもよさそうだ。私はよくないけど。お風呂場で髪を洗っていてたまに呻き、願望と弱虫の狭間を彷徨うほどには切実だ。
好きな人がいて、好きな人も、わざとであっても、不意に、好きだ、と私に言ってくれるくらいは好意があって、ハグもキスもしていただけて。ハグはともかくキスが夢だったらショックだが、現状を見るに、現実だ。
起き上がって、左手をまるめる。謎の指輪が、裏づけのない無責任さで私の蛮行を応援した。温泉卵でもここまで崩しやすくはなかろう、という決心を固める。巻き起こるはずの羞恥は、逆に(……なんの?)消えた。
私が人の寝室で恋と煩悩を練り合わせて自縄自縛に陥っているとはつゆ知らず、スティーブンは無防備だった。警戒なくスマホを充電器につないで、枕を背もたれにするようにした。無論だ。これはハッキリ言えるが、察知していたらおかしい。
日付が変わるまではまだ時間があるからか、彼は読みかけの本を開いた。にじり寄り、ページを覗き込む。
「クラウスさんの?」
「ああ。彼が好きな作家の短編集だよ。随分と読み込まれてる」
糸で綴じられたページには、何度も開いた跡がある。硬い表紙のきわも、ちょっぴり擦り切れる。文章からは、哲学的な匂いがした。
距離の近さに、ドキドキするのと同じくらいの安らぎをおぼえる。胸は苦しくなるそばから癒され、癒されると同時にしくしく痛んだ。
ひと区切りがつくまでそのままでいて、私も単語と文法を途切れ途切れに読んでいく。反応いかんではこれが彼のベッドで寝られる最後の時になるかもしれない、と悟って怖くなった。人間関係は、人間関係は保ちたい。
気が遠くなりそうだったので、胃を痛くしながらスティーブンにもたれかかった。悩むのも考えるのも後ろ向きになるのも疲れる。私のモットーは、こんなつらさとは無縁のはずだ。
「あのさ、スティーブン、ちょっと、ものすごいワガママを言っていい?」
「いいよ」
うっかり問いかけてしまったが、ここで断られたら終わってた。危ない。
彼の目はページから離れない。
「あのね、そのうちね、私に、あなたの時間をください」
あっ、とスティーブンにもたれるのをやめて、付け加える。
「もういっぱいもらってるけど!ベッドにまでお邪魔してるけど!これ以上要求するとバチが当たりそうだけど!あっ、バチとか実は信じてないんだけど、えーと、そうじゃなくて!すごい暇なときとか」
ここでまた思い直した。
「ないよね」
「今のところは未定かな」
ヘルサレムズ・ロットの治安っぽいものを担う秘密組織の重要ポストに、そう簡単に暇ができるわけがない。
「ないけど、あったら。もし、あったら!あと、なんだろう、……暇なうえに、チョー気が向いたときとかがあったらください!」
「あげるのはいいけど、何に使うんだ?」
訝られ、うう、と怯んだ。正当な疑問が邪心をえぐる。やめておけばよかった。ここまで言ってしまうと取り消せない。お前はなんなんだという話になる。どうせ狂った醜態を晒すなら、中途半端でないほうがいい。おそらく。たぶん。私、また間違ってるかな……。暗澹たる気持ちしかない。
「ええと、……スティーブンのゴツゴウと暇となんか暇と暇な感じが極まったら」
「暇すぎだろ僕」
賭けてもいいけど、そんなときは永遠になさそうだ。純粋に、彼の心と身体を休ませたい。
私の台詞は正反対を突き抜けるのだが。
胸の前で、パン!と手を合わせた。
「あなたの睡眠時間を、私のシュクガン達成のために、どうか、ください!」
強く目を閉じたのは、ヤバい反応だった場合、直視すると神経がぷつりと逝きそうだと生命が警告したからだった。
「……ん?」
無意識に手が心臓のあたりを押さえていた。
なんと珍しいことに、この男から疑問符が飛んだので、私は目を開けた。しかつめらしくいこうと思ったがそれは無理だった。さぞや感情任せの、必死こいた瞳であったことだろう。
「いつか!スティーブンがすっごい暇になって気が向いて、気が向いて、気が向いて、気が向いたら! 私をあなたとしっぽりいかせてください!」
しばらく、私の心臓を除いたすべての音が消えていた。
「……え、なに、君、本気か? 都合が悪かったのは君だぞ」
不必要に小心者ですいません。
「私、度胸はつかなかったし、絶世の美女でもないけど!お願い!どーしても!爛れない方向で焼けたい!」
全力を尽くしてスティーブンを見つめ続けた私には、彼がぱちりぱちりと目を瞬かせるのがわかった。あざとさのないそれからは、私の先をすたすた歩く色男が、面食らって立ち止まったような感じがして、あまり見かけないから、なんだか意外だった。そんな、私がどうやったって勝てない可愛さを表に出さないでほしい。
本は開かれたまま、彼のひざの上にある。
「……あ、あの、ごめんなさい。ダメ?」
引かれたか。
脳内のボルテージが下がるにつれて気まずくなり、後ずさる。バランスを取るために左手を動かすと、その手首をつかまれた。彼は自由な片手で本を閉じ、枕元にそっと置こうとしたが、本は結局、ナイトテーブルの引き出しの中におさめられた。
それから、私に向かって首を振った。
「ダメじゃないさ。何もダメじゃない。ダメじゃないんだが」
「う、うん」
身をすくめて断罪を待つ。
スティーブンは試練に耐えた弱者にも容赦がなかった。
「軽く感動した。君も成長したんだな。凄いぞ」
「飼育員みたいになってる!!」
私の頑張りってそんなレベル!?
ダメじゃないのは報われたようで嬉しいのに、手放しで喜べない。手をつかまれているからだとか、そういうのではなく。
へなへなと脱力する。シーツもお布団も巻き込んでうずくまった。 私ってなんなんだろう。
彼は、獲物をピンポイントで突けるように研磨され研ぎ澄まされた己のセンスにおいて購入し、違わず私の胸に風穴を開けた指輪を撫ぜた。その指先は次いで私の髪に触れ、すくようにしたが、頭自体をゆらゆらと揺らすやり方がどことなく犬の飼い主っぽかったので、ムッとする。
わずかに頭を浮かせて抵抗を示す。
「ねーえー!褒めてくれるんだったら、もっと優しくってロマンチックにやってよ! 引かれるかもとかいろいろ考えて、でも言おうって覚悟したんだよ!」
イケメンはにこやかに、私の抗議を受け止めた。
「そうだよなあ。凄い凄い。なんだかんだ言ってもこのパターンはないだろうと思ってたんだけど、君が自分で考えてここまでしてくれたら、僕も待った甲斐があった」
「え!?パターン!?パターン予想してたの!?」
「うん」
そんな至極当然みたいに頷かなくても。先を見越してチャートを組み立てるのは職業病なのか、性格なのか。
撫で方は丁寧になった。
「……一番有力なやつはなに!?」
「一番有力なやつが最終手段」
「最終手段!?私、期待されてないじゃん!」
「まあ、ぶっちゃけ、あまり期待はしてなかった」
「ぶっちゃけなくていいよそこは!」
また選択肢を間違えたか。願望など、叩いて固めてクローゼットにしまっておくんだった。完全にふてくされた。拗ねるハタチの私は、可愛くない自信がある。
スティーブンはベッドに手をついて私を見下ろし、私が彼を見上げられるように、こちらの肩を押した。ぶすくれた表情はすぐには直らなかったので、そっぽを向く。
「君はドラマみたいな、情緒的でロマンチックな展開が好きなんだっけ?」
「あなたがやったみたいなやつですね!憧れだね!」
「ははは、いじけるなよ」
いじけさせないようにケアしてくれるつもりはないようだ。テンション振り切って拗ねたハタチをからかう労力は、慰めには回らないのか。頭を動かして、不満げににらむ。
その拍子に、自然かつ不自然な体勢に気づいた。ここはベッドの上で、私は仰向けにされたのに、彼に見下ろされている。
びっくりして、反射的に抜け出そうとして、枕のないところに頭をぶつけた。笑われたが、恥ずかしさより混乱が勝つ。ザップさんに怒られた足癖は圧倒的にヤバげな長い脚に抑えられ、働く機会も与えられない。
「えっ?おかしくない?」
「え?おかしいか?」
不思議そうにされると、判断が狂う。
利き腕も、シーツに縫い止められるように使えなくされたので、指輪がきらめく手で待ったをかけた。
「だって、この体勢、フツーじゃなくない?私が勘違いしてる?」
「してないと思うよ」
過去の情景が頭蓋骨の内側を疾走した。
この、胸ときめく体勢。
この、これからコイツを引っ掛けます、みたいな意図を錯覚してしまう、圧迫感すらおぼえる気配。
この、ゲンジュツのかかっていない私には目にまぶしすぎる、ものっすごく男性美に溢れた激烈ストライクな表情。でも柔らかくニコニコしている。
何度か拝ませていただいた。どれも最高にグッときた。カッコいい。本当に好きだ。
しかし、この、とりあえず逃げ道は全部塞いでおきました、的な状態が何につながるか。私は恋も知らぬ処女ではない。どんなに頭脳が可哀想でもさすがにわかる。
穏やかな瞳だが、脚は動かせないままだし、私の利き腕を封じる彼の手には力が込められている。
スティーブンは、私の頬を手で包むようにした。

呼ばれて、ぽかんと口を開けた。
「え!?名前!」
「君が知らないだけで、結構呼んでるぞ」
「私が知らなかったら私にとっては無いのと同じなの!」
わかりやすく呼んで。今みたいにうるさくなるけど、気をつけるから。
聞き入れたんだかわからない相槌が打たれる。
彼は私をひたと見据えた。瞳は揺らがない。その奥に、ちらりと時おり何かが見える気がした。
それは私の胸をギュッと締めつけ、叫びたくなるくらいの『好き』をあふれさせた。
私はばっちり動揺していたが、怖くはなかった。
、僕は君が好きだ。知らないとは思うけど」
先に言われた。
驚きと歓喜で一歩遅れ、慌てて「私もあなたが」と言おうとしたのろまな口に、スティーブンは指を押し当てた。求められた通り、つぐむ。
彼は無駄口を(……無駄口でごめんなさい)挟ませなかった。
「どうしてこうなったんだろうな。気づかなければ、時どき困ることもなかったのかもしれないのに。だが僕は、もう気づいてしまったし、知ってしまった。無視はしきれなかった。忘れられなかった。手離したくなかった。そして、手離せない」
声はさざ波のようで、私の心臓は、徐々に落ち着きを取り戻す。
「僕は君の一生懸命な話を聞くのが楽しい。もどかしくなったり、呆れたり、困らされたりするのも、実は少し待ち遠しい。君といると、いつの間にか気が休まってる。君が僕を見つめていたいと思うように、僕も君を見つめていたい。君の癒しになりたい。誰にも君を渡したくない。僕の望みは身勝手だ。だが正直に言うと、これまでも、これからも、君の心がほしい。感情を触れあわせたい。君を抱きしめ、口づけをし、君のすべてを感じたい」
視線すら動かせず、胸はからっぽで、頭は真っ白。
聞くことしかできない。
「君は僕にとって、とても重要で、大切な存在だが、人生の一番には決してできない。二番にもできないかもしれない。三番もどうだかわからない」
そ、その曖昧さは大切か?断言して?
私は修飾の欠片も見えぬ彼の偽りなきお言葉に震撼させられ、止められていなくても、ものを言えなかっただろう。
「それでも、許されるなら」
スティーブンの眼差しは、私を渇望して見えた。
「君を愛してる。 どうか、僕の気持ちを受け入れてくれ」
私のおてんばな心臓が静粛にしているのが、この先の死を予感させた。
なんか、ものすごいことになってはいないか。
無鉄砲にわめき立てたときの緊張の糸が絡まってダマになり、解決するには切るしかない。しかし、切れない。
自分が、ゴチャゴチャな思考しか持たないからだろうか。しっちゃかめっちゃかになった精神をほどく鍛錬を、私は重ねていなかった。情けなくて涙が出そうである。
だから、冴えないものしか返せない。
全身が熱くて、手のひらが汗でしめりそうだ。頬も目元も耳も首も、恋情で炙られる。私がローストビーフだったら、この時点で食べられる。
自由になった唇を動かした。
「命日になってもいい。今日が私の最後の日になっても文句は言わない!とうとう心臓に限界がきても納得する。……嫌だけど!」
うろうろと片手の置き場に迷うと、スティーブンの手がそれを握った。こんな場面で申し訳ないが、急にされて驚いて、ポカポカで反抗的な手のひらが、ロマンスには無用な手汗を分泌して焦った。
「スティーブンがすごく好き」
なにが言いたいのか、自分にもよくわからない。なぜ私はこうなのか。目がギンギラだったらどうしよう。
「あなたがすごく暇なときに思い出したら、私のことを考えて!もっと暇になったらハグとキスをして、暇じゃなかったら、『今日は帰れない』って電話して声を聞かせて!」
彼は、よくやるように、なにも言わずに聞いていてくれた。
「あなたが困ったら助けたい。困らなそうだけど!あなたが疲れたら癒したい。ひざまくらとかで!」
ドキドキして目が回る。でも、寝転んでるから、倒れる心配がなくてラッキーだ。
「何回でも私をからかって!あざとくきて!何回でも好きになる。私がウザくなったらソフトに教えて、嫌なときは嫌って言っ、……柔らかめに言って、嫌じゃなかったら放置して。スティーブンが私を好きでいてくれるように、ヒビのドリョクをオコタらないから、嫌いになるまで、ずっと好きでいて。忘れちゃうまで忘れないで。私はあなたが大好き!……ご存知の通り!」
言い終え、目力的なものを拮抗させようと試みたが、あえなく敗北を喫した。私の耐久性が新聞紙程度だからかもしれないが、真剣な目の様子がもう強固なのだから、殺意とかお怒りを含む眼力で睨まれたら腰が抜けるのでは?そういえば抜けそうになったような。
あいてる手をふたりの間に差し込んで精神を守った。あちらの空気がゆるんだ。
「あの、うまく説明できてた?」
彼はさっくり頷いた。
「ああ、いいスピーチだった。ひねってあったし」
「あなたホントに私のこと好き?」
この理不尽な感じはなんだろう。再三の一大告白への感想としては雑すぎだ。ここで優しくしてほしい。
稚拙な異議を唱えた私に、ど最高なイケメンが予告なく滑るように漸近し、吐息を感じて悲鳴をあげかけた私のノー度胸な唇に、このヘルサレムズ・ロットですらメロメロに沈黙させそうな唇を押しつけ、全世界が壁を殴って悔しがって地団駄を踏みそうなキスをした。
私は土葬と火葬のどちらが適切なのかを、途切れ途切れに考えた。素晴らしすぎるドリーミングな時間には不釣り合いで気が入らなかったし、葬儀に縁もなかったので、すぐ霧散した。
走り回る心臓が脳から酸素を奪う。
ふたりの距離はわずかに開いたが、呼吸のリズムは合わなかった。一方的に私が緊張と羞恥と興奮で絶命を目前にしていた。
「あわ、あ、あわわ、今のは」
視界が回転し始めた。しかし私はアホだった。
「び、びっくりしてよくわかんなかったから、もういっかい」
スティーブンがちょっと笑った。自分の制御ができないのは困りものだ。本気で実現しそうになって、急いで手をかざす。彼が空間をあけてくれた。
「ごめんなさいごめんなさい!待って待って!」
「そうすると思ったよ」
「心の準備が!」
「いつできるんだい?」
「ち、近々」
予定は未定、とよく言うものだ。弱気な私の声がかすれた。
あちらは物分かりよさげに首を振った。
「なあ、。僕は今夜、『すごく暇』で、『気が向いて』るんだ。そうじゃなくても、これはどんな努力家でも頑張り屋でも待たないし我慢しない場面だと思うんだよな。それで、今の僕は努力家じゃないし頑張り屋でもない」
「この人にしか許されないセリフきた!!」
そこらの男が軽率にのたまったら袋叩きにされそうな発言がピタリとハマるスティーブンが恐ろしい。知っていたけど恐ろしい。あと、私の制止はまったく考慮されていない。
しかし彼は丁寧であった。
「……このまま進めても?」
静かで穏やかなようで、別の何かをも感じさせる問いかけだった。その低い声が掠れていたような気がして、放たれた色気で私が一匹死んだ。堪えがたいというふうに彼が何かをのみ込み、とめどなく蠱惑的な喉仏がこくりと動いたところは致命的に見逃し、奇跡的に生き延びた。
すごく嬉しい。めちゃめちゃ嬉しい。嬉しいけど!嬉しいんだけど!大望、大願、切なる望み、目標のひとつが成就すること自体はものっすごい嬉しいんだけど!なんか、なにも準備が整っていないというか、今になるとは想像していなかったというか、了承だけむしり取りたかったというか、そんなところなので、直面する現実問題に意識を向けると。
サッと顔色が変わるのがわかった。
「あ、あのね、あの、ど、どうしよう?」
ものっすごく不安がった私に、彼は続きを促した。
優しく、真剣で、私の感情を優先しようという眼差しだった。
私は己の不備に、脳内で自分を罵った。こんなときに。こんな夜に。
「私、今日、勝負下着じゃない!」
冗談でも時間稼ぎでもなかった。
私がリアルに焦ったのを見て取ったスティーブンは、一転して、めちゃくちゃ投げやりな顔で言った。
「……うん、悪い。久々に、本当に、心底からどうでもいい」
えっ?心底からどうでもいいと思ったことが前にもあったの?
希望(……野望?)が叶うらしいときなのに、身におぼえがありすぎてショックを受けた。
私、ホントに、大丈夫かな。



0908〜9