03


K・Kさんからメールが来たときはどんな清涼な魔境に呼ばれるのかと不安だったが、行ってみれば何のことはない。想像よりもカジュアルなレストランだった。緊張はするものの(……しないはずがない)、身構えて縮んでいた身体はほぐれた。
K・Kさんが店内を見回す。
「良い雰囲気でしょう」
「はい。あの、私、場違いじゃないですか?」
「違和感ナシ。気軽なトコだから、ラクにしていいのよ」
私たちが席について少しすると、頑張っても無視できない存在感たっぷりな巨体がドアを抜け、こちらへやって来た。熟練のウエイターは怯まず対応する。顔を憶えられているのかもしれない。一度来店されれば、忘れられないだろう。……目立つし……。
「遅れてしまってすまなかったね」
「あら、気にしないで。用事は済んだ?」
「幸いなことに」
食べたいものを問われたが、メニューの筆記体に近い細い文体を素早く読めない。読めても、内容を思い浮かべるのは難しそうだ。料理名が長い。
お任せすると、ランチのコースに決まった。即断即決だった。
初対面では彼のいかつく見える顔に威圧を感じてしまったが、クラウスさんの瞳は静かで、人の心のうちにまで救いの手を差し伸べようとするかのようだ。それに気づくと、敬意と好意と親近感が湧き上がる。
彼はそんな瞳を私に向けた。
くん、今日は急な話で驚かせてしまって、申し訳ない」
「大丈夫です!呼んでくれて、……くださって、ありがとうございます」
「そんなに気を張らず、リラックスしてくれたまえ。ただ、君と話をしたかっただけなのだ」
好意と親近感があっても、それとこれとは別である。私の神経がどんなに鈍くたって、遠慮や物の道理を知らなかったって、この空間とこの顔触れで気を抜くなんて不可能もいいところだ。見せかけだけは頷いた。
「あれからずっと、カフェで仕事をしているのだったね」
「はい」
「ヘルサレムズ・ロットでの生活は、苦しくはないだろうか?」
ヘルサレムズ・ロットは、私の常識からは相当に逸脱した街だ。
しかし、苦しいかと言われると、そうではない。
元の世界でもやらなかった挑戦をしたり、自主的に勉強をしてみたり、私なりに真面目にバイトをしたり。世界はこんなにせわしなくキョーミ深いものだったのかあと視野が広がる気がする。広がっても、他と比べれば狭すぎるのだろうが、毎日が新鮮だ。つらいとき、というかリアルに痛いときもあるけど、最近は平和であるし。
「困ったときも、必ず誰かが助けてくれます。だから、苦しくないです。知り合いはみんな優しくて、ス、……クラウスさんやK・Kさんたちみたいに、こうして気にかけてくれる方もいますから」
筆頭にスティーブンを挙げかけたが、彼の上司かつ私が名を知る人物の中で最も位の高いクラウスさんを初めに置かねば、となんとか頭が回った。回転が一瞬遅くて口が滑ったけど、秘密組織のふたりは聞き流してくれた。もしスティーブンを代表に挙げていても気にしなかっただろう。度量の大きさを感じた。
「いつだって私たちに頼ってちょうだいね、ちゃん」
「私たちは君が、この異世界でのびのびと生きられるように願っている」
「え、ええ、あの、はい、すいません……」
「何がかね?」
「なんでもないです!」
許容値を超える偉大な発言を受けると、一般人は罪悪感に埋もれて瀕死になる。
出された前菜に救われた。
ナイフとフォークの扱いには幾分か慣れたが、ミスがあったら目も当てられない。銀食器文化生まれ銀食器文化育ちのふたりが優雅な手つきで小ぶりな貝のオーブン焼きを食べるのを見つつ、切り分けて口に運ぶ。音のひとつも立ててはならぬ、といった強迫観念によるストレスのせいで絶対に味なんてわからない、と思ったが。
「おいしい!」
しゅわりと舌にしみるこれが旨味か。ヴェデッドさんのつくってくれるオーブン焼きとはタイプが異なり、脂が多くて味が濃く感じた。そのぶんインパクトがすごい。好みはヴェデッドさんのご飯なのだが、こちらは『オシャレなランチ』と呼ぶに相応しい特別感がある。
「ここは食材がとても新鮮でね」
「これ、異界のものですか?」
「そうよ。マメフトマキモドキトゲガイ。焼くのがいいのよねー」
実物を見たことはないけど、想像しやすいネーミングだ。ちなみに、おぼえきれなかった。
「スティーブンから聞いたのだがね。なにやら、くんは彼に薔薇を贈ったとか」
「えっ!」
「ええっなによそれ、聞いてない!」
全員に暴露されたかと焦った。
K・Kさんの反応を見るに、彼はクラウスさんにだけ話したのだろう。クラウスさんは花に精通するから、活けるコツを訊いたりしたのかもしれない。マメだ。細やかだ。丁寧だ!もしそうだったら、彼の気持ちが嬉しい。口角が上がった。
「もちろん喜んでたわよね?」
チラとでも曖昧なそぶりを見せたらスティーブンがどつかれそうだ。
完璧な受け取り方をしてくれたから、喜んでいたことにしよう。彼は自室にまで置いてくれたのだし。
「えっと……」
「喜んでいたように、私には見えた。くんのいた世界でも、薔薇の花言葉や贈り方の意味は変わらないのだろうか?」
できるだけ元気よく肯定しようとして、クラウスさんから無垢な爆撃を受けた。この人が知らないはずがなかった。スティーブンも、おそらく既知。どんな会話だったのか。
「クラっち、薔薇の贈り方って?」
「薔薇は、相手に贈る本数によって象徴される意味が異なるのだ」
「あら、ロマンチック。そんな話もあったかしら」
「あっあー、あの、ちょっと恥ずかしい!恥ずかしいです!」
ちゃんは何本贈ったの?あの男をチョづかせるような意味になるのよね」
「言っても構わないかね、くん?」
可愛らしく首を傾げて了承を得ようとしてくれる律儀さはありがたいのだが、やめてくださいとは言いづらい。
突っぱねるのは簡単で、クラウスさんはフツーに話を終わらせてくれるだろう。K・Kさんも常識的な人だから、強く拒めば踏み込まないに違いない。しかしこれは、躍起になってヒミツにするような事柄でもない。私が照れて使いものにならなくなるだけだ。そして私はもともと使いものにならないから、誰にもモヤモヤは残らない。首を縦に振った。
前菜のお皿が消え、代わりにショートパスタが目を楽しませた。お口も恩恵に預かりたい。
「赤い薔薇が5本だそうだ。その意味は、『あなたに出会えて心から嬉しい』」
K・Kさんのガン見が刺さる。
ちゃん……」
「すいません!すいません!なにも言わないでください!」
「違うのよ、そういう意味じゃなくて!」
K・Kさんは手を握りしめた。
「それはあいつがちゃんに渡すべきよ!女の子にさせるなんて、それでも男なの!?」
「い、いつもいっぱいしてもらってますから」
「そうだとしてもよ。無駄に手馴れてますって顔してるくせに」
イチャモンの域だ。
冷めないうちにショートパスタに手をつけ、クラウスさんにより開かれた花言葉講座を静聴する。物騒なものもあり、間違えたら大変だ、と目を瞬かせるばかりだった。

お肉料理もお腹に詰めると、残るはデザートである。……デザートらしい。私はコースの流れを把握しておらず、ウエイターの予告で締めくくりが近いことを知った。
アイスクリームのような、ケーキのような、不思議なものは私の舌を落ち着かせた。
終わりが見えると心が軽くなる。ここまできて、ようやっと気が緩んだ。
クラウスさんたちがデザート用の華奢な銀色を扱う動きはとても洗練されていた。それを見ると、緊張が少しぶり返す。やっぱり怖い。
紅茶のカップを傾ける。私の味覚は鋭くないが、まろやかな感じがした。どんな茶葉だろ。クラウスさんは知っていそうだが、色々と訊きまくりなので、質問するのはやめた。
お昼ご飯を食べませんか、とお誘いを受け、おいしいものを食べられたのは貴重な体験だ。でも、また、どうして私? 彼は素晴らしい人格の持ち主であるので、私に不自由がないか、懸念がないか、気にかけてくれたとかか。すごい親切だ。すんごい情が深い。とんでもなく慈悲深い。わかってたけど、やっぱりいい人すぎる。
「ねえ、ちゃん。あいつに不満とかはない?大丈夫?喧嘩したくなったら加勢するわよ」
何があっても言うまい。同等の(……だよね?)力がぶつかり合う被害は甚大だ。
「不満なんて、なんにもないです」
「ホント?ホントにホント?」
ジッと見つめられ、頑張ってひねり出した。
「イケメンすぎてドキドキしっぱなし、とかなら」
「くっ……、顔……!!」
「あっ、行動も!」
「いちいちわざとらしくあざといのよあの男は!」
「わ、わかる」
思わず素で同意してしまった。
「でも、嫌だったり、納得できなかったりすることはないから、大丈夫です!心配してくれてありがとうございます」
なぜかスティーブンが気に入らない(……のか?)K・Kさんは、彼への反発心(……かな?)もあるのだろうけど、心底からの慈愛でもって私の味方であってくれる。足を向けて寝られないやつだ。もっともそれを言うなら、私は立ったまま眠らなくてはいけなくなるが。
頭を下げたときに頬にかかった髪を、指で耳にかける。クラウスさんが顎を引いた。
「とても愛らしい指輪だ。スティーブンからかね?」
持ち上げていた左手を下ろす。手の甲を上にすると、細いリングが明かりを弾いた。K・Kさんが絶句する。
私は大きく頷いた。
「はい!すごい嬉しくて感動しちゃいました」
くんによく似合っている」
「待って待って、ちゃん、それはなに?指輪? どうして気づかなかったの、私……」
K・Kさんは私の右手側に座っていて、見えなかったようだ。確かに、彼女がこれを見つけて、反応しないはずがない。
「な、な、なんでどうしてその指なの?」
「どこがいいか訊かれたので、じゃあここがいいって私が……」
「なんでどーしてちゃんに訊くの!?」
「無粋な推測だが、スティーブンはくんの意思に委ねるつもりだったのではないだろうか」
「そうかなあ……」
ノリはめっちゃ軽かったけど……。
記念に気を利かせてくれただけでは、と思ったが、クラウスさんの言ったロマンチックな理由が気に入ったので、黙っておいた。
何かを言わずにはいられないのはK・Kさんだ。
「そんな生半可な気持ちでヒョイヒョイ嵌めていい指じゃないのよ! アイシテルのひと言くらいはあったわよね!?当たり前よね?」
「いえ……」
きょとんとしてしまったが、クラウスさんがいるのだった。
「大丈夫です!問題なしです!」
口をつぐんで言い直した。K・Kさんが愕然としている。
「……ウソでしょ……、その分際でどのツラ下げて……」
背中に冷や汗をかいた。速乾性の肌着で助かる。
低く、彼女は囁いた。
「言わなきゃ伝わらないのにね。察しろなんて、気づかせないなんて、バカ言うなって話よね。ちゃん、あなたはもっと要求していいのよ」
返事しあぐねると、K・Kさんはクラウスさんに顔を向ける。
「クラっち。私、ちょっとやることができちゃったから先に出ていい?」
クラウスさんが時計を見る。彼にもお仕事がある。私は「今日はとても楽しかったです」と声が引きつらないように気をつけてお礼を言った。
「慌ただしくて申し訳ない。くんと話ができて良かった」
「私もです!」
クラウスさんは握手を。美女はハグをしてくれた。
「また会いましょう、ちゃん」
「ぜ、ぜひ」
凛々しい背中から目をそらした。
誰も悪くない。悪くないはずだ。強いて言うなら意思疎通をテキトーに放棄したあなたと、どうしようもなく真意を察せない私でトントンだ。
スティーブン、なんかごめんなさい。K・Kさんがあなたを殴るかもしれません。



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