02
この人は、僕を朽ちてどこにも繋がらない電話かなにかと間違えているのでは?
ハロー、ミシェーラ。ゴタゴタの絶えない街で、僕は今、年上の上司からノロケられています。
ハナバクハソースのドリアが熱くて舌が痛いので、現実らしいのですが、いろんな意味で食欲は消えました。
僕は恋愛を遠い世界の話だと感じるし、自分がそれに関わるなんて実は、突っ張って言うほどには想像もしていなかった。
僕に恋人はいない。恋愛の技術に卓越なんて到底してない。できるのは、話に耳を傾けることくらいだ。
けどこれは、僕の手に負える範疇からぶっ飛んでいるのでは。
誰が、憧れ、……ではない気もするが、ものすごい人だと仰ぎ見るライブラの副官による自問自答に付き合いたいと思うのか。僕の回答なんて期待してないくせにわざわざ僕を呼ぶのだから、困惑するしかない。
「どうして僕なんですか?」
「君なら昼メシで釣れる」
「……うわー……」
「冗談だ、冗談。君が一番、僕らに詳しいからだよ」
自己の分析と整理に余念のない人物が、僕を必要とするとはとても考えられない。
詳しくないですけど、と否定はできないが肯定もできず(……長くなると怖い)、どっちつかずに頷いた。さんからの話ならもうちょい真剣に取り組めるのに、なんだ、この、始まる前から確信できる徒労感は。僕が笑おうが怒ろうが感動して泣こうが居眠りしようが関係なさそうな空気。スンマセンけど、僕はホントに必要ですか?
スティーブンさんは僕に、デス・ソースっぽいタバスコを勧めた。僕は一滴、二滴と落としながら水を向ける。水というか、ぬるま湯だ。
「どうして急に、そんな台詞が出てくるんですか?」
「意外かい?」
「ええと、まあ、そうですね」
僕の前にドリアが置かれるのを見てから、スティーブンさんは僕に話しかけるテイで独りごちたのだった。
「僕は自覚していたよりも彼女に恋をしているかもしれない」
僕はスプーンをグラタン皿に立てかけ、まず何から突っ込めばいいのか、よくよく考えた。そして出たのが、なぜ僕なんですか、というアレだ。当たり障りのないものがそれしかなかった。
「僕からすると、どうして今ごろ改めて、と伺いたくなるんですけど」
恋や愛やと騒ぎ立てたものではなかった。さんは元気いっぱいで、時どき弱気になりながらも、全力でこの人への恋を叫んでいたが、一方のスティーブンさんは静かだ。自分ひとりで解決できる。これまではそうしてきたし、これからもそうだ。弱みや見栄とは縁がない。
そんなスティーブンさんは、ゆっくり、確実に、さんを大切にし始めた。彼の芯に関わる部分とは、まったく別に。この人を知らない僕にはうまく言えないが、夜と朝の間に昼があるように、さんを自分の領域に入れる。そんでたまにいじる。つつく。遊んでる。破格だ。僕のキャパでは追いつけない。
だけどそれは、彼がさんを、他人が開けようとしない幕の奥で、好きだと思うがゆえなのでは。
「なにかがあったんですか?」
「ふっと感じただけだよ」
「どんなときに感じたのか、僕が聞いていい話ですか?」
「うーん、それが大したことじゃないんだ。彼女が見事に、二度目の風呂での寝落ちを披露した。僕は彼女が1時間くらい出てこないもんだから様子を見に行って、返事がなかったからドアをノックして」
ザップさんなら開けていただろう。
……ん、でも意外とそこは常識的かな。垣間見えるマトモな部分は、びっくりするほどマトモでマトモだ。
「死んでたら困るなと思ったらようやく音がして、まあ、生きてた」
「でしょうね」
バイト先のカフェで会ったさんはぴんぴんしていた。
「二度目だというのもあって、彼女は真っ青になって謝りに来た」
「スティーブンさんって、そんなに厳しいんです?」
「なにやら知らんが、……いや、理由はわかるが、僕の気を損ねると好感度が下がって彼女を捨てると思われてるんだよな」
「なんでそこはものすごく弱気なんでしょーね」
そりゃあ、嫌いになれば別れるのは自然な流れだが、さん、よく観察しましょう。この人は基本的にさんの一挙手一投足を面白がって見てますし、楽しんでますよ。
っていうか、あんな厄介で災難でスティーブンさんにとっては最悪極まりなく、気を損ねるってレベルを突き抜けた呪われた日々を越えてるじゃないですか。あの状況より最低なことってなっかなか無いでしょう。僕はもちろん詳しくは知らないけど、どう考えても発覚初日に何もかもがどん底に落ちてる。今さら下がるモンがあります?スティーブンさんが何を、誰を忘れられなくて、忘れるつもりもなかったか、ご存知じゃないんですか?
突っ込みたいことがありすぎて言葉が出ない。突っ込みたい相手も不在だ。
とりあえず、さん。
さんは薬指になにをくっつけてんですか?そのアクセサリーの名前はユビワってんですけど。この人が贈ったんですよ。このスティーブンさんが。 しかも嵌めてる。聞く限り、スティーブンさんがさんの前に膝をついて彼女の左手の薬指に手ずから指輪を嵌めてる。
さん、本当によく観察しましょう。 僕は爆弾よりそれが怖い。
ここまで来ると、知り合いふたりの意識の齟齬で板挟みになった僕は壁を殴っても、むしろ殴った壁に同情されるんじゃないだろうか。
……他の人に投げられる話でもなさそうだから(……投げられても複雑だ)、別に構わないんですけどね……。
「謝られて、スティーブンさんはどうしたんですか?」
「風邪をひくから出てから寝ろって言うしかないだろ」
「ですよねー」
「そこからは、僕が風呂で寝落ちしたことがあるか、だとか、寝落ちじゃなくてのぼせて動けなくなってたら抱き上げて助けてくれ、だとか、いつも通り調子に乗り始めた」
「調子に……」
仮にも恋人を。
スティーブンさんは、自分のドリアを食べた。僕も隙を見て腹を満たす。
「いつもと変わらない姿を見ていたら、なんとなく、ふっ、と思ったんだよ」
「その、……それを?」
「うん。『もしかして僕は彼女を想像以上に好きなのか?』ってね。話が早くて助かるからタバスコをやろう」
「あ、もうかけました。ありがとうございます」
僕は首を傾げた。
「それって、問題があるんですか?」
「特には何もないんだ」
「じゃあなんで今さら……あっ、すいません」
「いいよ。タバスコはどうだい?」
「あの、罰ゲームの一種なんですか?」
失言したのは僕だが、これ以上かけたらピリ辛指数が上がる。
恋も好きも愛も、問題がないならいいじゃないか。……と、思うのは僕の経験値がスライムもかくやというものだからだろうか。
「少年。僕と彼女なら、僕が有利に見えないか?」
「なんだこの人……。有利なんじゃないですか?」
どの点でかは明示されなかったが、総合的に比べると、申し訳ないがスティーブンさんに軍配が上がる。さん本人も全面同意するだろう。
「だが、たまにペースを乱されるんだよな。これもそうだ」
「嫌なんですか?」
「嫌ではないよ。嫌では」
ホントに僕はどうしてここにいるんだ?
めちゃくちゃ訊きたかったが、口にめいっぱいボンドを塗りたくった。
「ただ、僕はできる限り主導権を握っておきたいんだ。『完璧をもって良しとする』だとか『頂点にありたい』だとかではないんだが、あんまり乱されると余裕がなくなる。それは笑える問題だろ?」
「ええ……?」
「ちょっと問題なんだよ」
僕の脱力に気づいたのか、スティーブンさんは付け加えてくれた。僕はいつだったかの余裕がないスティーブンさんの様子を錯覚だと認識したが、もうちょっと自分を信じても良かったかもしれない。
僕が反応に困ったのを見て、ああ、と彼はこの話をやめた。
「僕らに詳しいコメンテーターに報告しておくつもりが、ちょっと喋り過ぎたかな。さすがは少年」
僕は何者なんだ。まったく心動かされない。
「えー、と。あのですね、興味なんですけど。すいません。どんなときにペースを乱されそうになるんですか?」
スティーブンさんのドリアは、僕のやつより早くなくなっていく。僕ばっかり喋ってるみたいだな。それとも、この人の食べるスピードが速いのか。のんびり食べていそうなイメージだけど、ヘルサレムズ・ロットでは昼の休憩すらも戦場に変わりかねない。それで習慣づいた、とか。確かにみんな、テキパキ食べているような気がする。
「君はあの小猿くんを見て思わないかい。『よく見ると可愛いな』って」
脈絡がなく聞こえて戸惑ったが、ソニックを思い浮かべる。
大切な仲間の存在はすっかり馴染み、姿にも慣れきって、普段は特筆すべき感想は抱かない。
だけど、あの小ささに合わないサイズの食べものをはくはくと食べている姿なんかは、見ていてすごく癒されるときがあったり、なんの裏表もなくカワイイと思うことがあった。『あれ、なんかこいつ可愛いな』って具合だ。そんなときは、手を止めて眺めてしまう。
スティーブンさんの言わんとするところがわかって、僕は無言でドリアにタバスコをかけた。
(たとえが可哀想すぎる……)
めちゃくちゃ伝わったけど。理解してしまって、さんに申し訳ない。
相談にもならない相談か自問自答か独り言か、ろくな返事もせず隣に座って昼食を奢ってもらうだけなのだからこんな話をするのはどうってことないはずだし、実際に即物的に得をしているのは僕のほうなのだが、居もしない味方を探してつい視線をうろつかせてしまった。気まずいのが僕ひとりだというのが不公平だ。
「ああ……悪い、僕はそろそろ戻るよ。君の面白い出会いは……、まあ、これ以上は腹いっぱいか」
「確かにパンパンですけど、もし、あったら。そのときは僕の話も聞いてくれますか?」
「そういうのは彼女のほうが向いてるから、あっちに言ってくれ」
「ええー……」
「冗談だよ。君は1から10まで自分で何とかできるさ」
「いやいや……」
冷めたドリアは、チーズが固まって、クリームも重たくなる。
すくって、3口くらい食べて、顔を上げた。
「出会いといえば、おふたりはどんなふうに出会ったんでしたっけ。さんは一目惚れ、って言ってて、……最初は、その、……不思議なお付き合いだったってスティーブンさんもおっしゃってましたけど」
呪いについて知ったときだったか。彼は、気持ちよりも先にステップを5段くらい飛び越えた、とか、そんなことを言った。
スティーブンさんが僕の顔を見つめた。失礼な詮索をしてしまったと謝罪する前に、唇の横を指差した。
「ソースがついてる」
「えっあ、はい?あ、ホントだ。ありがとうございます」
がたりと椅子を引き、立ち上がったスティーブンさんは、僕の肩に触れた。急な接触にびくりと跳ねる。
「お先に。聞いてくれてありがとう」
「いえ、僕は何もしてないですよホントに。ごちそうさまです。ありがとうございます」
食券式の店なので、会計の手間がない。
やはりあの人は僕を、通じない電話と間違えているのではないだろうか。信頼ととっていいのか。気持ち的にビミョー過ぎます、スティーブンさん。
質問へのハッキリした答えもなかった。読めない。全然わからない。あのさんも決して口を割らない。嬉しそうに話しそうなのに。
何度も疑問に思うけど、どこで捕まえたんだ、あの人を。
そして、どうやって捕まったんだ、あの人は。
0907 1202