06
丸襟のブラウスにフリルたっぷりのスカート。清楚なエプロンと、胸元を飾るシンプルな赤いリボン。キュッと絞られたウエスト部分は、後ろ姿でよく目立つ。髪は邪魔にならない程度にゆるくまとめられ、清潔感を演出しつつも、どこかあどけない雰囲気を醸し出す。
極め付けは白タイツ。スタイルに自信がなければ、決して選べないコーディネートだ。正直に言うと、私もやったことがない。三つ編みなんて、何年ぶりだろう。
店長から電話を受け、清楚なメイクを求められたのは出勤直前。清楚なのにがっつりやってきて、という詐欺めいた指示に困惑しつつ顔面を装い直して店へ行くと、裏口に停められた車に連れられ、アクセルを踏まれてどこへやら運ばれる。
「な、なんですか?」
店長は真顔で言った。
「ヘルプ、頼まれちゃって。ごめんだけど行ってくれる?」
「もうここまで来たら断れなくないですか!」
カフェからはだいぶ離れてしまった。
「なんで私なんですか?」
「スタイルがいいから」
「ええ?」
「あそこの衣装、なかなか着こなせないんだわ。よろしく」
やけに謝ってくる店長を訝る気持ちは、派遣先で服を渡されて霧散した。
このデザインは、人を選ぶ。
着替えながら説明を受け、ここが一店のレストランだと知る。しかも、それなりのところであるらしい。なぜ、ほぼ新人同然の私が派遣されるのか。もっと場馴れしたベテランのほうが、あのカフェの格や面目につながるのでは。
そう思い、レストラン『アヴェク・トワ』の常駐店員さんに訊いてみた。
彼女は花開くように微笑んだ。
「いいのよいいのよ、服の似合う女の子がニコニコして立ってるだけであっちは満足するんだから。そういうレストランなのよ」
なにかヤバい商売に片足を突っ込んだのでは、という気がひしひしとする。パパのひざまくらに通ずるところがなかろうか。これが噂に聞く『メイド喫茶』とやらなのか。この街にそんなカルチャーがあるとは思いもよらず、面食らう。
唖然とした私のリボンを指先で直し、店員の女性はニコリとした。
「今日は個室にお客さまがいるのよ。私たちはそこの担当。あなたはカートを押して、私の配膳を手伝ってね。料理を出している間は、壁際で微笑んでいてくれたらいいわ。それから、お客さまのことは『ご主人さま』と呼ぶこと!大事よ、これ」
「は、はあ……」
説明によると、この店では無体なお触りは禁止。配膳などの細々としたことは慣れた店員に任され、新人や派遣バイトは簡単に、お皿を乗せたカートを押して彼女らのサポートについたり、ニコニコと笑顔をサービスしたり、『どうしても』と指名された場合にはお客の隣について、これまたニコニコしたりするらしい。この際の接触は腰を抱く程度までなら許容範囲。それ以上は超小型端末で先輩を呼ぶよう言いつけられた。レストランの皮をかぶってはいるが、明らかにそっち系のお店である。私は店長に売られたのではないだろうか。車内でものすごく頭を下げられた理由がわかった。今朝まではちょっとした自慢だったのだが、今はスタイルがいいというのも困りものだと後悔している。スリーサイズの話などしなければよかった。戻ったら文句をつけようと決める。
渡された超小型端末は、チョーカーの裏に隠される。いざというときはこれを押すそうだ。どんなときなのか、想像したくない。
始まる前からいささかうんざりしていたが、バイトはバイト。世の中に出ていれば、こんなことも一度はあるだろう。
一度で終わってほしいものである。
白塗りの壁には額縁に入れられた花の絵が並び、やけに間接照明的なやわらかい光で照らされる廊下がいかがわしい。赤色基調の制服に合わせてのことか、絨毯も赤系統に染まる。
質が良く見えるが、その実、ちょっと安っぽいエナメルの靴の足音は微かで、部分的に絨毯の敷かれていないなめらかな床を、音もなくカートが滑った。先輩は誰も見ていないのをいいことに、可愛らしいのにあくどい顔を私に向け、「稼ぐわよ!」と囁いた。おそらく、これは彼女の天職だ。
そんな彼女は、扉に手をかけると一変し、白百合のような笑みを浮かべ一礼した。私は粗相がないか、心臓を痛くしながらカートを押した。失敗したら、とんでもないことになる。それくらいは私にだってわかる。
無言で『ここ』と示された位置で立ち止まり、パパのひざまくらのほうが数百倍は楽だなと思いながらお客のほうを向く。
序列順に円卓を囲むふたりは、見るからにオトモダチ同士ではない。どちらかといえば、裏取引の空気に似る。しかしなぜここで裏取引。カモフラージュにしても、もう少し選択肢はあるだろう。ということは、ワルいものではなさそうだ。
上座のオッサンと目が合って、仕込まれた笑顔を反射的に浮かべる。視線がそれたので、そのままこっそり、もうひとりの客を見る。
横顔に、悲鳴をあげるかと思った。
続いてこみ上げるのは大いなる疑問である。
(……え?なんであの人がここにいるの?)
まあ、妥当なところで、取引、なのだろう。趣味ではなさそうだ。
上座でも下座でもない席に、見慣れすぎた姿があった。
動揺して手が震える。
この姿、とても見られたくない。
私にはなんの非もないが、この衣装はキツい。本当にキツい。メイクも含め、自分でも悪くない出来だと思うからこそ余計に無理だ。
願わくは、気づかれませんように。エプロンのポケットに突っ込んだ幸運の指輪に強く願う。
先輩は配膳を水仙のような笑みで終え、「ご用がございましたらお呼びください」と鈴の鳴るような作られし声で再び一礼した。
上座の男が言う。
「指名したら隣についてくれるそうだね」
「はい。ご希望でしたら、当店におりますクルーの写真をお持ちします」
「それはありがたいね。どうだい、スターフェイズくん。君もひとり」
水を向けられ、『スターフェイズくん』はよそ行きの態度で笑った。他に人はいないので、彼単独のお接待なのだろう。秘密組織ってなんなんだ? 接待も金策のひとつだとは思い至らなかった。
クルーの写真をお持ちすることになった先輩は、私に待機を命じてカートを引き上げる。いやいや私を退室させてください、と思ったが、ここに来るのが初めてな派遣バイトに、資料の在り処がわかるわけもない。
男は写真を待ちつつ食事をとり始め、『スターフェイズくん』と和やかに会話を進めた。
「ここに来てみたいと言ったのはわたしだったが、まさかこんなに早く予約を入れてもらえるとは思わなかったよ」
「我々はあなたに日頃からお世話になっていますから、このくらいは当然のことです」
「だが難題だっただろう。ここは数ある中でもとても人気だ。……ああ、スターフェイズくんも食べてくれたまえ」
数ある中でもとても人気だそうだ。数があることに驚いた。番地や通りが変われば様相も変わるということか。
ノックとともに先輩が戻り、「こちらでございます」と1冊のアルバムのようなものを男に手渡した。ご丁寧にも(……当然か?)、スティーブンにも手渡している。ふたりは、かたや本気で、かたや如才なく相槌を打ちながらページをめくる。
「ふむ、あそこの子は載っていないようだが」
「申し訳ございません、彼女の写真は本日のご提供には間に合いませんでした。ですが、ご指名でしたらお付けいたします」
「なるほどなるほど。ではせっかくだ。最初に来てくれた君たちに付いてもらおうかな。……構わないかなスターフェイズくん」
「お任せします」
「うむ。ならそういうことで頼むよ」
先輩が鬼も殺すような目力で私を呼んだ。死を覚悟した。
「ご主人さまはどちらのクルーをご希望ですか? わたくしどもがふたりでお付きしましょうか?」
「いや、君にしよう。名前は?」
先輩が名乗る。男は隣の椅子を自分に寄せるよう命じ、指名された先輩はそこに、たおやかに腰を下ろした。死を覚悟した。
「ではあなたはあちらのご主人さまに」
「う……」
煉獄のような眼差しは、私に「かしこまりました」以外の返事を許さなかった。怖すぎて、色々な意味で帰りたくなる。
「し、失礼があるかもしれな、……しれませんので、私はここに立っていたほうがいいのではないでしょうか」
どうでしょうか先輩、と名前を呼ぶと、先輩の代わりに『スターフェイズくん』がじきじきに私に席を勧めた。男にも勧められ、先輩にも促されては拒めない。派遣バイトの立場は豆腐よりも弱いのである。
「君、名前は?」
無駄な抵抗であってもどうにか誤魔化したい私より先に、先輩が答えた。
「彼女はですわ」
「いい名前だね」
この生業を天職とする鬼のようなクルーから、『オラありがたがれ』と威圧を食らった。
「ありがとうございます……」
般若のように私をねめつけた先輩が、『オラ付け加えろ』と、私にあるひと言を強要した。
私は弱弱しく声を絞り出した。
「ありがとうございます、ご主人さま……」
今すぐここに異界の大型生物が現れて、窓を全部割らないかな、と思った。
当然、窓は割れない。
進むコース料理は別の店員(……もはやメイドと呼んでいいのでは……)が運び、『スターフェイズくん』から如才なく、適度に振られる話題に男が答えるうち、メインのお肉料理があらわれた。
「そうだ!どうだろうか。わたしは熱いものが苦手でね」
私にしては高回転した脳みそにより、展開が読めた。先輩は心得たもので、そっと銀食器を手に取り、切り分けられたステーキを刺して「ふう」と息を吹きかけた。チューリップがごとき美人だから許される所業である。ひざまくら係として日給をバカスカ稼いでいた私もドン引きだ。人の性癖はわからない。わかりたくない。
……あ、でももしかするといけるかもしれない……?逆ならば。隣の男からのサービスならば。
高そうだ。
上座の男は非常においしそうに肉を食べ、チューリップの肩を抱き寄せた。ひとりでさくさく、礼を失しない程度に食べ進めるスティーブンの苦労を想像すると胃が痛んだ。
「君もしてもらうといいぞ、スターフェイズくん」
今度こそ私はかすれた悲鳴をあげた。誰にも聞こえなかったと思いたい。
これはもう、明らかに店長に売られている。新人の登竜門なのかもしれない。
「とんでもない、僕にはもったいないですよ」
「いやいや、何事も楽しまなきゃいけないよ。人生は一度きりだからね」
「ああ……、それは確かに。そうですね、おっしゃる通りです」
「、ご主人さまに喜んでいただくことがわたくしたちの至上であると教えたでしょう?」
お、教わったかなあ……。
ニコニコして荒稼ぎしろとしか言われなかった気がするのだが、私のプリンよりも甘い頭が勘違いしているだけだろうか。
「わ、私が手を出さないほうがおいしく食べ、……召し上がってもら、……いただけるんじゃ……」
「ご主人さまがお望みなのよ、」
「そうだぞくん」
「……ええー……?」
お互いに拒否できない状況下、冷や汗で背を濡らす私に気づいたか、余計なサービスが面倒になったか、おそらく後者であるのだが、「僕は温かいままで平気だよ」と一条の光と思しき救いの手を差し伸べられた。
されるのは嬉しいのに、するほうに回るとなると、なぜこんなにも血の気が引くのだろう。あちらの意向に沿わないことであると明確に理解できているからか。こんなバイトで人間関係を壊したくない。
彼はお肉を食んだ。
「さすが『アヴェク・トワ』。肉の柔らかさも理想的だ」
「うむうむ」
「……君もそう思うだろ?」
「えっ!?」
肉の柔らかさなど知るはずがない。
「わ、私はベンキョーブソクでして、その、まだ食べ、……いただいたことがないんです。申し訳ございません」
嘘をついても仕方がないので白状すると、「それはもったいない」と白々しく言われた。
「うむ、もったいないことだ。どうだねスターフェイズくん、その子にひと口あげるというのは」
「えっいや」
かなり本気で逃げかけたところで、テーブルの下で足を軽くぶつけられた。
そうだ、と気づく。ここで私がうっかり調和を乱すと、なにやらよくわからない取引だか接待だかが台無しになるかもしれないのだ。秘密組織のため(……で、あってほしい)、スティーブンは失敗できない。私も失敗できない。つまり逃げられない。
場をわきまえず赤くなるかと思った頬は、それどころか緊張で冷たい。背中にだらだらと冷や汗が流れそうだ。お肉の味はわからなかった。しかし上座のゴシュジンサマは感想を待っている。私は合コンスマイルを貼り付けた。
「とってもおいしいです!ありがとうございます!……ご、ご主人さま!」
「それは良かった」
「うむ」
「あん、ご主人さま。そこにお触りになるのはいけませんわ。オーナーに叱られてしまいます」
「それは悪いオーナーだ。わたしが一声かけてあげよう」
「ご主人さま……」
上座は桃色である。私は泣きたかった。
料理が引き下げられ、残りはデザート、というところで上座の男の携帯電話が鳴った。
「すまんね。少しここで電話をさせてもらうよ。スターフェイズくん、席を外してもらえるか」
いやその理屈はおかしいのでは、と思わなくもなかったが、『スターフェイズくん』は席を立った。違和感なく、「ちょっと道案内をしてもらいたい」と私の腕を取って。
扉の外に出ると、空気が澄んだように感じられる。キョーミと知識の範疇外だった世界に、思いの外、あてられていたようだ。
頭を抱えた。
「……君、ここで新しいバイトでも始めたのか?」
「ちがっ、違う違う!」
視線が白い。
「僕には、君がその制服をものすごく着こなしているように見えるけど。化粧も違うし。いつからだい? 知らなかったな」
「私は服が似合っちゃうタイプなんです!今日が最初で最後だよ!……たぶん」
廊下の隅でこそこそと話す。
事情を包み隠さず打ち明けると、スティーブンは、「君のバイト先って大丈夫なのか?」と正当な疑問を口にした。そんなの私だって知りたいよ。基本業務はまともなのである。
「スティーブンこそ何してんの?」
「仕事」
「接待?」
「そんなところだよ」
ちょっと迷ってから訊ねる。
「これ合法?」
「合法」
「よかった」
先輩解説の大雑把な接客マニュアルに不安を抱いていたので安心した。
ホッとすると、『メイド喫茶(……のようなもの)にいるスティーブン』というイメージにそぐわない現実への驚きが蘇る。
もしも、私ではない店員があの個室の担当になり、取引先らしい男がこのイケメンにもメイドを付けるよう勧め、これまでと同じ流れをなぞったとしたら。彼は見ず知らずの可憐なメイドに『あーん』をされたり『あーん』をしたりすることになったのか。仕事って大変だ。万一、そのメイドが彼の好みにドンピシャであったりすると、と考えて心に切り傷を負った。人気店というからには、やはり美人揃いなのだろう。
軽い脳みそが、ちょっとだけ、『……私でよかった!』と思った。本当に軽い。
「ここってなんなの?」
察しはつくのだが、訊いておく。スティーブンに似合わぬ世界観を持つお店。やっぱり、メイド喫茶、なのだろうか。
「『可愛い女の子と一緒に食事ができるレストラン』らしいよ。熱烈な要望を受けて予約を取ったんだ。聞いたかもしれないが、かなりの人気店」
「やっぱり、そんな感じなんだね。あの先輩に教わったやり方も納得かも」
「というと?」
説明の詳しいところは抜けてしまったが。
「えーと、どこまでだったっけ……。どこかから先を触られたら、他の店員さんに通報できるようになってるの。フトドキなお客さんがいるかもしれないから」
「それは必要なシステムだろうなあ。さっきもあの女性が触られていたし」
「だよね」
先輩ほどになると軽くあしらえるのだろうが、新人なんかは戸惑ってしまい、相手をより楽しませてしまうかもしれない。ヤバイことになると合法が違法に変わりかねないため、そのあたりはきちんとしている。
「どうやって通報するんだい?」
私は自分の首を指さした。
「チョーカーのここを押すんだって言ってたよ」
「一見したところでは、まったくわからないな。便利な装置だ」
首元に手がやられたので、間違って押されたりしたらたまらないと思い急いでのけぞる。どのくらいの力加減で反応するのかがわからないから怖いのだ。
彼は、今度はこちらの衣装をじっと見た。
「それにしても、うーん、なるほど。上から下まで、『これがアヴェク・トワ!』と感動されそうなデザインだ」
「好き?」
「好きなやつは好きだろうなとは思うけど。僕は、特には」
だよね。メイドに興奮するようには見えなかった。
「あ、じゃあどんなのが好きなの?」
私の知る世界は小さいが、十数年、学校やらなにやらに通っていればちょっとは触れる。クラスにそういうものが好きな人もいたので、あるのかないのかわからない知識を活かして「ナース?」と訊くことができた。
スティーブンは気遣いから、一応、考えるふりをしてくれた。
「仕事柄、ナースを見るのは微妙な気分だなあ」
看護師を見かけるのは病院に担ぎ込まれたときくらいだろうし、そんなときはおそらく、彼か彼の仲間が傷ついているはずだ。言われてみれば頷ける。
「日常的な恰好でいいんじゃないか?」
「大人の余裕を感じる!」
どんなふうにアピールしても、こだわらない姿勢でスルーされてまったく効果を望めなさそうだ。
落ち着いた瞳が腕時計に向く。
「そろそろ戻るか」
早くても遅くてもいけない。
「……また何かあったらすみません……」
不吉な想像に小さくなると、スティーブンは言った。
「お互いに仕事だ」
「心が強い!」
私にとってのえぐい時間は、それから1時間半続いた。
店を出るふたりを見送ったあと、先輩が私を肘でこづいた。
「、やるじゃん。最後、イケメンなほうが褒めてたよ」
「や、やったあ」
なんと細やかな気配りができる男だろうか。この取引だか接待だかも、見事に成功させたに違いない。だって、上座のゴシュジンサマはとても笑顔でスティーブンの肩を叩いていた。
「あの、お世話になりました」
清廉な美女に頭を下げると、彼女は私の背をぽんぽんと撫でてくれた。
「またやろうね!」
「ヒイッ!いやです!」
こればかりは無理だ。
迎えに来た店長を後部座席で半泣きになって責め立てると、店長は「ごめん、ほんとごめん、緊急手当出すし、お休みもあげるし、なんでもするから!」と私に手を合わせた。友人の頼みで、断れなかったらしい。
人身御供として出された私は数日後、『アヴェク・トワ』が不運にも強盗に押し入られ、機動隊との戦闘で半壊したことを知った。
「壊れる前にやれて良かった」とは、スティーブンの言である。
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