22
ドラマのワンシーン。夜景の見えるバーでグラスを干し、「愛してる」のひと言。ふたりはホテルの一室に消えてゆく。
実にロマンチックだ。この前の場面で花束に指輪まで隠されていた。
こんなやり方は絶対に嫌!という人もいるだろうが、私は結構好きだった。形から入り、お姫さまのように扱われるのは悪くない。特別な感じがするし、ありきたりで面倒な形式に則ってくれるところに好意を感じる。
「スティーブンはどんなシチュエーションで告白されるのが好き?」
全然違う場所で書類をめくっていたスティーブンに声をかける。
彼は10分前に「ザップ……、あいつまた少年に書かせたな……」と低く唸ったきり黙っていたが、私の質問には片手間に答えてくれた。
「どうでもいいよ」
わあ。
『なんでもいい』ではなく、『どうでもいい』。この違いはかなり大きそうだ。どのような手段をもってしても、彼の心を動かすのは至難の技であるらしい。そりゃあそうかもしれない。これまでの人生、彼は浴びるように告白されてきたことだろう。私もその有象無象のひとりであり、軽くあしらわれる哀れな道化だ。
「君は?」
形式的に問い返してくれた彼の優しさに打ち震えつつ、私はパッと思いついたシーンを答えた。
「やっぱりロマンチックなのがいいかも。大人っぽくて。どっかの……そうだなあ、夜景が見えるバー?的なところでお話しして告白されて、そのままホテルで一晩だよね!」
「ドラマの見過ぎじゃないか?」
「何も言わなくても実践した人が何言ってんの?」
パパの情報はだいたいそのバーとホテルでぶちまけた。甘くて苦くて目が回りそうな思い出だ。最高だった。
「好きそうではあるなあ」
「まあ告白されるならスティーブンにされたいし、スティーブンにされるならどんなシチュエーションでもチョー嬉しいけど!」
「ははは。そう。参考にするよ」
興味がなさそうだった。
……と、いう話をしたのが1週間前。
20時過ぎ。
私は小音量でミュージックの流れる薄暗闇の中、クリーニングから返っていた思い出深い緑色のワンピースを身につけ、新しく渡されたブレスレットによる光の反射すら煩わしく感じながら、カチコチに固まっていた。
提供されるのは、浅めのグラスに注がれたピンク色のお酒である。つくってくれた人が名前を教えてくれたが、左から右にすり抜けた。隣の男は「飲んでいいよ」と普通に勧めてくれる。飲んでいいのは知っているのだ。
「い、いただきます……?」
思考とはなんだったのか?本当に人間の頭には思考能力があるのか?幻想では?
そんなことを考えてしまうほど混乱した私は、せめて粗相だけはないよう、ひざまくら係のときに慣らされた(……隣の男によって)動きを丁寧になぞった。お酒は飲みやすかった。
「何が何やらさっぱりです」
秘密組織で忙しすぎるはずの男は久しぶりに、仕事上がりのヴェデッドさんを見送れる時間に帰宅した。ふたりで彼女に笑顔を向け、用意された軽めの夕食を食べる。それから彼は唐突に、前に返した服に着替えるよう指示を出した。ファッションショーでもおっ始めるのか、などとバカバカしい想像をしつつ着替え、『スティーブン、背中のチャックを上げられないの』とお約束の振りをふっかけようとしてやめ(……本当に上げてくれそうだなと思って照れた)、車に乗ってあれよあれよと言う間にこの場に連れて来られた。何度か来たことのあるショットバーである。
また、なぜこんなことに。
「なんでこうなったの?」
「うん。あとで話すよ」
「そうですか……」
冗談は言っても、彼は私に嘘はつかない。告げないことはあれど、たぶんそうだった。
あとで説明してくれるというのなら、時期を待とう。
パパの情報を持たない今、この空間で何を話せばいいのかがわからない。私はあのころ、なんの話をしていたのだったか。買ってもらったアクセサリーだとか、服だとか、スティーブンの格好よさについてだとか、聞いていてもさして面白くない話題ばかりだったように思える。スティーブンはそれにひとつずつ応じ、如才なく褒め言葉を並べて私の自尊心と恋心(……チョロい!)をくすぐり、私にとっての楽しい時間を演出してくれた。重ね重ね、仕事の鬼である。
「寝てる?」
「寝てるよ」
「帰れないときはどうしてるの?職場に泊まるの?」
「そういうこともある」
「女の人の家に泊まったりはしないの?」
「しないかな。そこまで望む相手とは付き合ってないよ。頼まれても仕事があるしね。鮮度が命だ」
なんの?とは訊かなかった。私からひょいひょいと引き出していった話のようなものだろう。お互いに理解済みのお付き合いばかりでもありそうだし、たとえ強く望まれたとしても、関係に響かない程度にうまく断りそうだ。
「家が一番だしね」
「うん」
「定時いつなの?」
スティーブンはちょっと黙った。
「……いつなんだろうな……」
闇を見た。
私は彼から目をそらしてカクテルを楽しんだ。意図はよくわからないが、こんな機会は二度となさそうだ。おいしくいただくほかに、私にできることはない。
頭のいい会話ができるほどのシワは私の脳みそには刻まれていないので、黙っている。
早く飲み終えて、帰らせたほうがいいのだろうか。彼の睡眠時間が削れてゆきそうだ。ここに来るまでにも少し時間がかかったし。
ここまで考えて『あれ?』と首を傾げた。
私たちはここまで、スティーブンの運転で車に乗ってやってきた。帰りも当然そうなるだろう。
しかし私たちはふたりとも、お酒を飲んでしまっている。
私の常識とヘルサレムズ・ロットの常識とにはかなりの溝がありそうだが、飲酒運転はいかがなものか。彼は気にしないタイプなのだろうか。あちらへ行ったりこちらへ行ったりと暇のない社会人は、そんなものか。
タクシーを拾うのも奇妙な話だ。車はここにあるのだから。誰が持ち帰るというのだ。後日取りに来る、などという七面倒なことを彼が計画するはずもなく。
「ねーねー、そういえば帰りはどうするの?飲んじゃってるけどいいの?」
「今日は帰らないし、いいんじゃないかな」
私は目を閉じて額を押さえた。聞き間違いか?
「……え?なに?聞こえなかった」
スティーブンは、並ぶ酒瓶のラベルから目を離した。
「今日は部屋を取ってあるから帰る必要はないよ。明日は君を送って、ヴェデッドの朝食を食べてから行く」
二度聞いても内容は変わらない。ジョークの類ではなさそうだ。
「えっと……、泊まるの?」
「うん」
「知らなかったよ?」
「言ってないからね」
「言ってよ」
お泊まりセットはないぞ、と気づいたがそちらも彼に手抜かりはなく。ホテル側で準備がされているそうだ。初めから帰らない気が満々である。
訳がわからず、指でカクテルグラスの脚をいじる。
ここになって、愚か極まる私の頭に天才的なひらめきが走った。
数日前に見たドラマの一場面。
同時に交わしたくだらない会話。
パニックに陥った私は、顔を赤くすることも忘れて肘をつき、手に額を預けた。
「そうなると思った」
思っていたのならばもう少しソフトにやっていただきたいものである。
死を目前にしたかのように、走馬灯がごとく一瞬にして多くのことを処理した私はショート寸前だった。歓喜が湧き起こるより先に冷静になった。
私、なんか情報持ってたっけ。
スティーブンの家から出られもせず、他者との通信もままならぬ私が彼にとって有益なものをご提供できるとは、髪の毛一筋ほども考えられなかったが、それくらいの発想しかない。
まさか私の希望に合わせて、愛でも囁くつもりか。
敵情視察さながらの視線を向けると目が合った。
告白であるはずがない。意味がわからん。どこに惚れる要素がある。自分で言うのも情けないが、私自身はそこまで魅力的なほうではない。スタイルに自信はあるものの、顔はパパにけなされる程度であり(……でも自分の顔は好きだ)、頭も明晰からは程遠い。ノリと勢いと猫かぶりと合コンテク、女子会スキルで厳しい学生生活を生き延びてきた。
しかしこの、スティーブンの優しさ(……みたいなもの)はなんだ? なんだというのだ? なぜかものすごく素直に喜べない。
いや、そもそも何もかもが私の勘違いである可能性のほうが高い。
告白など、彼の頭には企画のKの字すらありえず、私がひとりで舞い上がっただけだ。彼だって、たまにはホテルに泊まりたいときもあるだろう。しかし私をひとりで置いておくわけにはいかない(……かなりひとりで留守番させられていた気もするが)。というわけで連れてきた。ついでに『ロマンチックなのがいいなー』とほざいた私にいい思いをさせてくれている。
なるほど、それっぽい。
「なるほどね!」
顔を上げて何度も頷く。時間差で頬と耳が熱くなったが、熱量の無駄である。
「てっきり告白かと思ってドキドキしちゃった」
「死にそうな顔してたよ」
「びっくりしたんだよ。乙女だから」
ドキドキしていたとわかっているだろうに、乙女の顔面に向けて『死にそうだった』とはどうかと思う。
今さらになって胸が鼓動過多で痛い。
「部屋って確か、すごい綺麗だったよね」
このバーにも来たことがあるし、当然といえば当然の流れでお部屋にゴーしたこともある。記憶ではそちらも質が良かった。
「僕の記憶が正しければ、君は気に入ってた」
「だよね!ワクワクするなあ」
きっと夜景も綺麗なのだろう。どこまで行ってもここはヘルサレムズ・ロットであるけれど。途中で彼に仕事が入らなければいいのだが。夜は寝かせてあげてほしい。
色男が2杯目につくってもらって、私に勧めたのは、琥珀を薄めたような色のカクテルだった。今度は名前を聞き取れる。アプリコットフィズというらしい。自分はグラスの縁に塩の盛られたものを頼んでいた。どうでもいいが、こういう勉強はどこでするのだろうか。
塩ごと飲むのかなあと興味深く彼を見つめていると、スティーブンはグラスに視線を落としたまま、「君をここに連れて来た理由なんだが」と口を開いた。声音が静かだったから、私は不可思議な予感を抱いた。
「色々と理由はあるんだけど、せっかくだからこのタイミングで話してしまおうと思ってね」
「愛の言葉ならどこででもいいのに」
「あんなに死にそうな顔をしていたのによく言うよ」
そこは放っておいてほしい。
スティーブンは続けた。
「昨日、手がかりが見つかったんだ。もしかするとこれで、君と僕のつながりが消せるかもしれない」
明日にでも、と言う彼はこちらを見なかった。
私は、え、と言葉を呑み込んで、次に「ええ!?」と彼ににじり寄った。「声」と指摘されて慌ててトーンを落とす。
「ほんとに?」
「ああ」
こんなジョークは塩よりもからかろう。
恥ずかしさだとか、なけなしの奥ゆかしさだとか(……似合わないか?)、そんなものは忘れてスティーブンの手を握った。
「よかったじゃん!おめでとう!本当によかったね!」
これで彼は自由だ。何事もなくお仕事に専念できるし、わざわざ余計なお金をかける必要もなくなる。家に帰って他人の姿を見ずに済むし、静かな生活を取り戻せる。どのような苦労の末の手がかりかはわからないが、最近の昼夜を問わない仕事ぶりにはそれもあったのかもしれない。彼にとってはかなりの高順位で優先すべき事案だ。
スティーブンがゆっくりとこちらを見た。
「君ももう痛い思いをしなくて済む」
「大助かり」
何を考えているのかは察せない。私が知らない色だ。
「もしもうまくいったら、君はどうする?」
当たり前であるのに、予想もしなかった質問だった。
どうするのか。
思考するまでもなく、私はひとりにならなければならない。
スティーブンの家にいる必要はもうなく、どんなに居心地が良くて幸せでも、居座る権利もない。『おかえり』と『ただいま』と、『おやすみ』とはお別れだ。不自由で、怖くて、なんかたまに痛くて。でも、とても楽しい日々だった。
ひとりでどうやって生きてゆけばいいのか。そのあたりは彼ら秘密組織の人々が、少しくらいは世話をしてくれるだろう。彼らは無情ではない。クラウスさんなどは、ものすごーく力になろうとしてくれそうである。こちらが恐縮しきるほどに。想像して笑いそうになったけれど、息だけが落ちた。
こちらに来て、きっとすぐに死んでしまった他の異世界人たちも、ずっとひとりだったはずだ。ひとりで迷子になり、ひとりで死んだ。死ぬ、という部分はできれば除きたいものの、今まで幸運幸福の絶頂にあった私がそのうちのひとつ、ひとりきりになるのは、おかしいことではない。どう考えてもこれまでがおかしかったのである。
もちろん寂しい。とても寂しい。すごく寂しい。離れたくない。
私はスティーブンが好きであり、不謹慎にも、永遠にこれが続けばいいのにと願ったことも、たぶん否定できない。心のどこかで願ったかもしれなかった。なんと非道な行いか。真剣に困っていた彼には口が裂けても言えない。
答えは浮かばなかった。
「どうしよう?……働くのかな?真面目にバイトもしたことないなあ。住むところとかは、手続きしてもらえたら嬉しいけど。私、見ての通り、ミツモリ?とかケイヤク?とか、ちんぷんかんぷんだから。実家通いだったんだよねー」
ガタガタの人生設計である。全部がダメだ。生きていける気がしない。異世界人って死にやすいし……。
別離を目の前に突きつけられ、私は落ち着いているように思い込んでいても、実は立ちくらみを起こしていたらしい。立ってもいないというのに。
スティーブンが私の手を手で包んだので、我に返った。私よりも冷え性(……ではないらしいけど)だったはずの彼の手を、やけに温かく感じる。
まっすぐに見つめられてときめいて、体温はすぐに上昇した。
「君はどうしたい?」
その瞳からはなぜか、たったひとつの答えを求められている気がした。
私には、それが何かがわからない。
「……どう、……って言われても……」
何も思いつかない。ずっとそばにいたい、だとか、そのようなバカな希望は山のようにあるが。まあ、言ったところで意味はないわけで。切なくなってきた。
それと、見つめられて落ち着かなくなってきた。
「と、とりあえず、死にたくない」
「他には?」
何が正解なのか、さっぱりである。
「……は、ハグ?」
「他」
「ご、ごはんは毎日食べたい」
「それ以外」
「し、死にたくない」
「それはもう聞いた」
「何をしたがればいいの!?」
だんだん募るお互いのイライラが感じられる。
スティーブンは諦めたように首を振った。
「君、向いてないな」
「何に!?」
手が離れ、彼はグラスを持った。聞かせるような聞かせないような独り言が落ちた。
「向いてないのは僕も同じだなあ」
スティーブンに無理なら私にはもっと無理だ。
すわ告白かと浮かれ、直後に不審を感じたロマンチックなシチュエーションはスマートに終わりを迎え、別段酔ってもいない足取りで連れられるまま、私はホテルの一室でベッドに座り込んだ。
「ねー、それでさ。手がかりってどんなのなの?」
ちなみに、ベッドはもちろん別なのだが、同室というところに激しく動揺し『これはチャンスですか!?』と訊ねたところ、『いい加減に懲りたほうがいいよ。そろそろこのやり取りにも飽きた』と暗に拒絶を食らった。しかし懲りない、諦めない、考えないというのが私の信条であるのでそうもいかない。この信条は時と場合によって変化する。というよりも内容を忘れる。
「場所と、犯行の手口」
「へー。事件解決!って感じがする」
「上手く行けば。解呪の方法が見つからなければやり直しだけど」
「そっか」
シャツのボタンを片手で緩めるスティーブンの姿はまさにヘルサレムズ・ロットの至宝。秘密組織のメンバーにもこれほどの色気を放つ人はいないだろう。たぶん。クラウスさんあたりはいい勝負になるのかもしれないが、あの人はあの人で、色香というより迫力っぽい。あるいは可愛らしい。
スティーブンがスマホを手に取り、私に片手でことわってから耳に当てた。少し離れたので、私はシャワーを浴びることにする。アクセサリーを外してバスルームに向かうと、電話する美丈夫の口から女性の名前が落ち、「君のためなら近々時間をつくるよ」という言葉が聞こえた。女か。
ドアを閉める。
「はー……」
切っても切れなさそうなつながりがあり、自宅にも置かれ、自覚なき優越感があったのだろうか。私という人間は浅はかである。明日にでも関係が終わってしまうかもしれないと思うと、まったく忌々しく面倒、かつ納得できる遣る瀬無さが湧いた。ははーん、女ね。わかるわかる。だがその傷はそのうち私には移らなくなるのだから、まあ、そこは幸いだ。悔しい!しかし好き。
「恋って罪!」
こんなアホに好かれてしまって、スティーブンは大変だなあ。
私がニュースを見ていると、バスルームから湯気が逃げ、男が姿を現した。テレビの電源を落とす。水を入れてくれた彼は、グラスを私に差し出した。飲むように言われ、ありがたくもらう。
「テレビ、見ていていいのに」
「あ、そう?」
眠る準備を済ませた私たちは、付け直されたニュース番組をしばらく眺めていた。興味をそそられない番組では、何やらかの記念銅像に落書きが増えていると報道された。
「どうですかスティーブンさん、おんなじベッドで寝るっていうのは?ついでに優しく抱きしめるっていうのは?」
「ははは。やめたほうがいい」
「どういう善意?お金かかるの?ありがとう?」
スティーブンは清潔なシーツにしわを生んだ。
彼のこういう姿は見たことがないなあ、と注目する。明らかに寝る気である。夜で、泊まるつもりなのだから、それ以外はない。
笑いかけられたので私もニコリとする。可愛い笑顔を目指したが、反応はなかった。あったとしても、恥ずかしくなって丸まってしまっただろうから、良かったのかもしれない。
つまらなくなったので勝手にテレビを消そうとしてから、「あっ、ごめんなさい」と謝る。
「見てないからいいよ」
優しいお答えである。お言葉に甘えてスイッチを押した。
部屋が静かになり、やることもないので布団に入る。
「どうやって終わるんだろーね?」
「何がだい?」
唐突だったか。
「この関係?っていうの?呪い的なやつ」
「ああ」
彼にもわからないらしく、「さあな」と苦笑が浮かんだ。
「簡単だと助かるよ」
「そうだね。痛いのは嫌だなー」
特定の部位を刺されたら治る、とかだったら泣きそうだ。
ふとくだらない疑問をぶつけてみる。
「あのさ、これって異世界人と……したら起こるんだよね?」
「そうらしいね」
「じゃあ二股かけたらふたりとつながるの?」
スティーブンは顎に手を寄せ、難しい顔をした。
「それは書かれてなかったなあ。だが、もしそうだとすると……」
より凄いシステムだ、と目が伏せられた。そうだよねーと軽く同意した。その場合のつながりはどんなふうになるのだろうか。並列か、直列か。確認しようのない、無益なクエスチョンだ。
枕元のランプのつまみをしぼる。光量がすうっと波のように引き、私の周りは暗くなった。うつらうつらと、先ほどから眠気がまとわりついてくるのだ。
「眠いから寝るね。ちょっと酔ったかも」
「ああ、おやすみ。明日は早いかもしれないけど、起こすよ」
「はーい」
スティーブンはまだ眠らないようで、明かりには触れなかった。
お昼寝は除くが、誰かの隣で目を閉じるのは久しぶりだ。ましてやそれが大好きな人となれば、夜を越えてしまうのがもったいないような、心が安らぐような、もどかしい感情にたゆたえる。
目を閉じ、「ねえあのさ」と呟いた。聞いてほしくて、聞いてほしくない言葉だ。複雑だったが、どうしても吐露したかった。頭が緩んで、いつも以上の甘えが出たか。
スティーブンは私に顔を向けたようだった。なんだい、と先を待つ間が心地よい。
「スティーブンには申し訳ないけどさ!」
ほんっとうに失礼なのだけど。
「ずっとこうして一緒にいたかったよ」
抗えないまどろみが、私を夢想に引きずり込む。あれしきのお酒で酔ったのか。だらだらとした甘ったれ具合といい、大人にはまだまだなれそうにない。
薬は上手く効いたようで、湯と布団にあたためられたはすぐに眠りに落ちた。呼吸がゆっくり、規則正しいものに変わる。彼女にはあまり眠れないときがあり、最近はソファで寝息を立てることが特に多かった。こんな日にも不眠で苦しむというのは、可哀想だろう。
スティーブンは緩慢な動きで立ち上がった。
隣のベッドは遠くない。壁もなにも存在せず、近づこうと思えば数歩でたどり着く。
ベッドに乗り上げてすっかり見慣れた寝顔を見下ろし、彼は困った顔をした。枕元に手をついて体重をかけても、マットレスが沈んでも、深い眠りはちっとも醒めない。
「向いてないなあ」
憧れのシチュエーションをつくってやっても、思ったよりは響かなかったようであるし。大前提として何かがあるのか、彼はその部分にだけは信用がない。それもそうだろうなあとは思う。それでもよくここまで恋を保てるものだ、と感心もする。彼女のそういうところは嫌いではない。
スティーブン・A・スターフェイズは、なんと驚くべきことに恋をしていた。
おそらく恋である。気の迷いではなさそうだ。なぜそうなるのか、彼自身、心の底から不思議だった。
彼は自分で思うほど、冷徹ではない。もちろん、躊躇いなくそうなることもできるけれど。
絆されたか、とも考えた。もしかするとそうなのかもしれない。絆され、一個として人間性をみとめ、同じ空気の中で触れ合い、声高に愛を叫んでやまず、何をしても派手に反応する彼女の気持ちが本物なのだと確信し、そんな彼女を面白がって指先でつついて遊ぶうちに、うっかり自分が転がった。そのようなところだ。
単純だからこそ厄介きわまりなく、スティーブンはライブラとは別種の執着をおぼえた。
髪に指をさしいれ、頭の形をたしかめ、頬を撫ぜる。
「それを言えばいいんだよ」
ぐにりと頬をつまんだ。
彼女があのときに『一緒にいたい』と言いさえすれば、仕方ないなと肩をすくめる心の準備はできていた。これまでずっと家に置いていたのだから、続けられない道理はない。
「まったく、……僕だけかと思った」
そんなことを考えたのは。
スティーブンは、なんとはなしにそうしたくなり、身をかがめ、の額に口づけを落とした。
「君が好きだよ」
起きていたら、騒がしくなったことだろう。
翌朝、スティーブンは九割眠っているを部下に預けた。「スティーブンはどーすんの」と訊かれ、夢うつつにもわかりやすく答える。
「事情が変わってこのまま出勤。知り合いに任せるから送ってもらってくれ。また連絡するよ」
「はあい」
ドアを閉めると、外から内側の様子は見えなくなる。
細身の男はスティーブンに黙礼を送る。スティーブンは頷いて応えた。
「悪いな。面倒を見てもらうのはきっと、これが最後になるだろうから、安心してくれ。あとは頼むよ」
男は口を開き、閉じた。
「なんだい?」
言葉を飲み込んだとわかったので、スティーブンは彼に向き直った。
「いえ、もしも」
中途半端に言葉が切れた。影のように付き従う彼は、スティーブンの機微に非常に敏感だった。口を出すことこそなかった彼からの発言に何かを感じ取り、上司は曖昧に沈黙した。
男が胸に手を当てる。
「では、失礼いたします。道中お気をつけて」
車は彼を置いて、影のように走り去った。
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