20


知らない番号から電話がかかってきた。
通信の部分で制限が課されてるというから、不審な電波ではないのだろうが、勝手に出てもいいものなのか。
判断できずに放置しているとやがて時間切れを迎え、沈黙したスマホはすぐに再び鳴り始めた。また無視をする。すると鳴る。出なければ終わらないようだ。
耳に当てて「もしもし」と言うと、「うおっ、マジで繋がった」と声がした。一瞬、誰かわからなかったが、知った声だというのは判別できたので知り合いの名前を頭に羅列する。
「……ザップさん?」
「そーそー俺俺。俺俺詐欺じゃねーぞ、ンなチンケな方法なんか使わなくても問題ねーし」
「どうやってこの番号を……」
「番頭がオメーに電話かけようとしてるときに後ろから見た」
「わあ」
よくスティーブンが見逃したものだ。絶対に泳がされていると思う。わかっているのだろうか。
ザップさんはどこか陽気だった。へらへらと声にしまりがない。お酒でも飲んだのか、時間を確かめる。夕方に差し掛かったところだ。秘密組織の仕事にタイムスケジュールは関係なさそうだが、収拾がつき始める時間なのだろう。
「飲んでるんですか?」
「ンでねーよ」
「じゃあなんでそんなにフラフラしてるんですか?」
「ザップさんは仕事で疲れ切ってんだわ」
「そーですか」
しみじみ言われては頷くしかなく、私は気が抜けて、ソファに座り直した。
「スティーブンさんはどうしてますか?」
「あの人はブルーライトとお友だちになっちまって、コーヒーか便所なんか以外はあんま動かねーよ。あー、今コーヒー切れたみてーだな」
「待って近くにいるの!?」
「たりめーだろここどこだと思ってんだ。ライブラだぞライブラ」
「ええー!?そこから電話かけてるの!?」
「シンシアもナンシーもまだ仕事から帰ってねーんだよ。俺合鍵持ってねえから」
「た、確かにそこはタダだけど」
待合所に使っていいものなのか。しかも、聞こえよがしにこんな会話を。忙しい人たちの妨げにはならないか?巻き込まれている私まで不穏な目で見られるのはすごく嫌だ。
「ザップさん、せめて出ましょうよ!邪魔になるかもじゃないですか」
「あー?……旦那ァー、俺がと電話してっと邪魔ッスか?」
高音質な電話の奥から声が聞こえる。たぶん、ザップさんが画面を相手に向けたのだ。『旦那』はクラウスさんの声で答えた。
くんとの電話か。いや、気にしないで続けてくれたまえ。構わないだろう、スティーブン?」
矛先が変わり、画面の向きも変わる。朝聞いたばかりの声が笑った。
「いや。悪いがザップ、俺に聞こえないところで話すか、さっさと電話を切ってくれ」
「……だってよ、
「ていうかなんで呼び捨て……」
スティーブンめっちゃ怒ってるじゃん。仕事の邪魔はダメだ。あの人は徹夜も辞さない、シャチクという種類の人間に近いと聞く。
ザップさんは舌打ち一発、立ち上がってどこかへ移動したようだった。
「オメー、なんかボコられたんだろ?何してんだよ」
「それが私にもよくわからないんです。不運でした……」
「へー。まーどうでもいいか」
「どうでもいいの!?」
じゃあなんで訊いたの。社交辞令のひとつなら、もっと丁寧にやってほしい。
心配してくれたのかもしれないな、と一応は思ったので、「ありがとうございます」と小声で言った。ザップさんは「耳が詰まって聞こえねーなァ。声デカくして100ぺん言えよ」と高飛車だった。
「ヤク打たれたりヤられちまったりしなかっただけ幸運だぜ、あんた。ここじゃ貧相で金もなくてチビでモジャモジャしてるゲロ陰毛のケツも売られりゃビミョーなトコだからよ」
「オブラートに包んで!」
「どうやって包むんだよ事実だろーが。ナマ言ってんじゃねーよ」
そんな外国の危険地域の典型的イメージが成立する界隈があるとは、やはり街の暗部は知りたくない。強くなければ暮らしづらそうだ。
「ザップさんは売られそうになったことはあるんですか?」
「このナイスな顔面と身体がありゃ一個二個はくっついてくんだろ。どっかの魚類だの陰毛だの犬だのとはちげーんだよ」
「そんなときはどうするんですか?」
「前は身ぐるみはいで借金返済に充ててたっけな」
「わあゲスい」
冗談なのか本当なのかの区別もつかないほどリアリティーがある。この人ならなんでもやりそうだ。
でもこんなことを言っていても、うっかり秘密組織の同僚や知り合いがそんなところに捕まってしまったら、いの一番に助けに行くんだろうなあ、などと考えて平静を保った。いや、いの一番はクラウスさんか。何番目くらいだろう。怒りそうなのだけは確かだ。怒ると怖そうなので見たくない。
「スティーブン……さんには訊けてないんですけど、その犯罪者たちがどうなったかご存知ですか?」
「んあ、あー、詳しくは知らねーな。あの人のこったし、とっ捕まえて姐さんあたりと元ふん縛ったんじゃねーの?」
「へえー……」
「一発殴りてえなら訊いてやってもいいぜ。破格の尻揉み1回で」
「いいです」
ザップさんは呆れた声を出した。呆れたいのは私のほうである。
「高くつけるようなモンじゃねーだろ」
「スティーブン専用なので」
「はーん」
どことなく嬉しそうに笑う気配がする。ははーん、と何度も間延びした相槌を打ち、何も言っていないのに、彼の中で独自の理論と想像が組み立てられたようだった。
「いや、キョーミはねえよ?あの人がどこでどんなオンナとどんなプレイをしてようが俺にゃまったく関係ねーからな」
「でしょうね」
当たり前だ。
「……で、どんなことしてんだ?」
「あるじゃん!!めっちゃ食いついてんじゃん!」
「るせーな仕方ねえだろ!こちとらクソみてーに外回りさせられてむしゃくしゃしてんだよ!レオもバイトだっつって帰りやがるし、いびってやろうかと思ったら待機命令。むしゃくしゃもするわ!!」
「私にぶつけないでスティーブンに直接言ってよ!」
「バカヤロウそんなアブねえことができるか!?」
「格の違いを感じる!」
叱られながら何をされているのだ、彼は。そうは言うくせに同じ空間にいるらしいのにまったく声をひそめる様子がなくて恐々とした。秘密組織の日常模様が全然想像できない。
告げ口するかもしれませんよ、と幾分か疲れた声で教えると、ザップさんはけろりとしたものだ。
「どーせ聞こえてんだろ、地獄耳だから」
「じゃあ直接訊いてるのと何が違うのかさっぱりです」
「オメーに話しかけてるっつう大義名分が要るんだよ。わかれよ」
「結果は何も変わらないと思うんですけど……」
こいつ押しに弱そうだし、と聞こえた気がした。そりゃあスティーブンよりは格段に弱いだろう。これを恫喝ととるかは議論が必要そうだが、慣れてもいないし。
やけに親身な様子で、彼は電話に寄り添った。
「あのオトコだぜ、。『ライブラ?全員抱いたぜ』みてーなカオしてやがる」
その感想は前に私も抱いたことがあるので共感した。家でのんびりしてるとそんな色は見当たらないのに、ちょっとあざとく(……わざとでないはずがない)色気を出したり真剣な顔をされると途端にオーラが立ち上るから不思議かつ恐ろしい。どのような修行を積めばあの域に達せられるのだろう。私はそのうちレオもあの領域に達するのではないかと内心ハラハラしている。彼の場合は無自覚で。
「そんな番頭のイロだぜ。しかもしゃーねーたあ言え自宅に置いてる。オラ、ネタ出せよ。あの人強請って支給金上げさせんだよ」
「イロってなに?」
「かまととぶってんじゃねーよ。それともマジでお子ちゃまかぁ?愛人だよ愛人」
「えー……」
私から情報を脅し取ろうとする理由も理由だし、知りたいのならばもう少し低姿勢で技術を凝らしてやってもらいたい。高圧的に来られると本能的に萎縮してしまう。それが狙いなのかもしれないが。どれだけ意志の弱い女だと思われているのだろう。スティーブンにひっかかったからか。あれは仕方がないでしょもはや。意志が強くても落ちるわ。
「オラ吐けよ」
「だって吐くものがないですもん。何もないから」
「ああー?」
わざとがらがらにされた声が不機嫌そうに唸った。
「弱みの一個くらい握っとけよ。有利に立ちたかねーのか?アブノーマルな趣味を一個掴んどくだけでうまくやりゃ一生恐喝できんぞ」
「アブノーマルな趣味ってたとえば?」
「俺が今まで見た中でいっちゃんスゲーのは」
「あっ、10番目くらいでお願いします」
「ビビりかオメーは。んじゃあ10番目くれーにスゲーのは……」
彼は私の理解できない世界を垣間見せてくれた。アブノーマルを通り越したエグい趣味だったので、吐き気がクラウチングスタートを切った。そんな趣味があるわけなかろう。
……と、思ったが。
私が知らないだけで、あるのかもしれない。そう考えると確かに、どんなものなのか気にならなくもない。
黙り込んだ私が『釣れた』と感じたのか、ザップさんは大声で私の背中を押す。
「たとえばよォ、とんでもねえ処女厨だとか」
「はあ?」
スティーブン、処女厨とはなんだろうか。今度説明するよクラウス。そんな会話が聞こえた気がした。今度説明してしまうのか、あのクラウスさんに。お互いのためにもやめて差し上げてほしい。
「アリそうだろ」
「う、うーん……」
同意を求められても困る。今後の人間関係に少なからぬ影響を与えそうだ。早めに電話を切りたい。
しかし、ちょっと気を惹かれてもいた。
「処女厨っつーか、処女は面倒だの何だの言ってるやつらもいるけどよ、世の中にはとんでもねえ処女フェチっつーのがいるんだよ。極まってヤロウに走るやつがいるくれーに」
「へ、へー」
「処女だからイイ!みてーな」
「はあ」
なんとなく視線が無人の個室に向く。ありえないでしょと思う一方、『人の趣味はわからないからなあ』と聞き入ってしまう。
「っつーかオトコは基本的に処女厨なんだよ。『オレが最初のオトコになりてえ』……みてーな。『無垢な相手を俺色に征服してえ』……みてーな」
「ザップさんも?」
「俺レベルになると穴は穴だ」
「電話切っていいですか?」
「まあ待てよ」
耳から離しかけた電話をまた戻す。自分の顔がうんざりしてきたのがわかった。あまり直接的な下ネタに耐性がないのだ。
清流のような下品な話が難しく、困惑していると、ザップさんがようやく気づいた。
「オメー、もしかしてこーいうハナシ苦手か?」
「はい。人が話してるのを聞く専門だったので、エグいとどうにも」
「まあ聞けよ」
「私の話も聞いてください」
ただ確認しただけだったようで、彼の言葉は止まらなかった。
「とはいえ俺も、たぶん純朴ぶってるあのガキンチョも気持ちはわかる」
「はあ」
「処女ってのは何も知らねえまっさらな状態だろ?」
「え、ええー、まあ、そうなのかな……」
引いていることを理解してくれたらいいのに。
「そのまっさらな新雪を踏み分ける、っつーのはかなりのワクワクなんだよなあ」
「そ、そうですか……」
下品かつ下劣すぎて気が遠くなってきた。私が触れてきた下ネタというのは、下ネタのシの字でしかなかったのだなと実感する。なぜ私は男性からこんな説明をされているのだろう。世が世なら訴訟モノのセクハラである。
「で」
「ええ?まだあるんですか」
「本題だろうがよ。スカーフェイスさんの嗜好だよ」
「知りませんよそんなのー」
結局、話はそこに戻る。
「つかオメーそんとき初モノか?」
これほどまでに答えたくない質問があるだろうか。この流れだと特にダメージが大きい。
「……違いますけど……」
「へー。ガチで処女厨だったら先が長そうだな」
「ほっといてよぉ!スティーブンに怒られてしまえ!」
私は電話を切った。最初からこうしておけばよかった。


「あっ!切りやがったあの女!」
掛け直してやろうと履歴を開いたところで、着信音が響く。ザップは表示された名前に関わらず、スライドして耳に当てる。
「聞こえないようにこっち来たじゃねースか」
「声がデカいんだよお前は。クラウスの耳を汚すな」
「旦那にもそろそろ世の中の爛れた部分を知らせねーとヤバいでしょ」
「いいんだよ。順番ってものがある。お前はすっ飛ばし過ぎ」
「母親かっつの」
「何か言ったか?」
「や、別に」
遠目に見えるスティーブンは、ザップのほうをちらとも見ない。肩と耳で電話を挟み、作業を続けている。
「それから、面倒な質問をされるからああいう話は控えてくれ」
「面倒な質問?がッスか」
「そう。お前の下劣な話がきっかけだと思うと余計に苛立つから、あとで彼女の番号は消しておくように」
「じゃあなんで俺に見せたんです?」
「お前が勝手に見たんだろ? 彼女の暇つぶしになるかと思ったんだが、まあ、予想通りの結果で僕は悲しいよ。胃が痛いなあ」
「……あ、胃薬買ってきましょーか」
ついでに電話の追い討ちをかけてやろう、と善意いっぱいの提案をしたが、取りつく島もなく切り捨てられた。
「僕が上がるまで黙って待機」
「めんどくせえー!!」


面倒だなあ、とドアを開け、迎えたミセス・ヴェデッドを入れ違いに見送り、スティーブンはソファでうたた寝をする女のいつもと変わらぬ姿を揺り起こす。
「あー、おかえりなさーい」
「ただいま。君、また眠れていないんじゃないよな?」
「寝てますよー。暇だとお昼寝くらいしかすることがなくて」
「そうかい。ベッドで寝たら?」
「本気で寝ちゃうからダメ」
夜に眠れなくなるという。寝られそうだけど、というひと言は飲み込んでやった。

予想は外れず、夕食の最中に、は真剣な表情をつくってみせた。つくりものだとはすぐにわかった。
「ザップさんとの話、聞いてた?」
「ザップの声だけなら」
「それなんだけど、スティーブンって処女好き?」
「言うと思ったよ。そうだよって言ったらどうするんだい君」
「どうしようもできないから諦めて非処女の私を好きになってもらうしかない!」
「うん。じゃあ訊く必要はないだろ?」
「そうだよねー。ザップさんが力説してたから、そんなものかな?って思って」
「今ケータイ持ってる?」
「うん」
「ちょっと良いかい?」
席を立ち、は離れた場所からスマートフォンを持ってきた。銀食器を置いたスティーブンの手にのせ、「開けるよ」と言われてひとつ頷く。
「パスは?」
彼女が答えた数字と文字列は、スティーブンにとってはちんぷんかんぷんなものだった。
「何か意味があるのか?」
「私の苗字」
「ああ、これが」
「ここじゃスティーブンしか知らないよ。それ、似合わないでしょ、私に」
「苗字は変えようと思えば変えられるからラッキーだよ」
「確かに!」
一拍の間があったので、『来るか?』と思ったが、スティーブンの読みは外れた。は何も言わず野菜を頬張る。
「おいしー」
「ヴェデッドの料理はいつも絶品だ。……ん、ありがとう。もういいよ」
スリープモードに入った電話は、一見したところ何の変化もない。
「何したの?」
スティーブンも鬼爪人参を口に入れた。
「着信拒否」
はこっそり、ザップに手を合わせた。



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