15


答えが知りたいような嫌なような。
「あのー……、あなたって麻薬とか打ってないよね?」
「打ってないよ」
打っていそうには見えないけど、直接本人の口から聞くと気が静まる。
「何かあった?」
お風呂上がり、テレビを見ていた私から飛び出すには不釣り合いな質問だ。彼の疑問はもっともである。
あらぬ疑いをかけてしまった私は、粗相に申し訳なさを覚えた。
「前から気になってたんだけど、ほら、なんか、たまに注射の痕?みたいなのが腕に……ない?あれは私の幻覚?」
今はないけど。
小さな点はちくりとも痛みを感じなくて、気づかないこともある。私の肌荒れや虫刺されであるのかもしれないが、あまりにも局地的だし、形も虫刺されにしては見覚えがない。加えて入院時の点滴が終わって絆創膏を外したときにそっくりな傷と出会い、あ、あれは注射針の痕だ、と正体がわかった。
なぜこんな場所に注射の痕が。
過労が祟って職場で、それこそ栄養剤か何かの点滴を入れているのかもとも考えた。
しかし先日の混沌たる飲み会でザップさんの評判や発言を聞き、ある疑惑が持ち上がった。すなわち、投薬は投薬でも、違法なほうのそれである。
まとまらない言葉で必死に説明すると、スティーブンは「ははは」と笑った。
「僕にそんな趣味はないよ。それは採血痕」
「採血?」
「定期的に多少の血が必要でね。最近は麻酔を塗ってからやってたんだけど、痛かった?」
「痛くないです。前は麻酔なしでやってたの?」
「このくらいで使う必要があるかい?」
「訊かれてもわかんないよ!」
「ないんだよなあ。点滴なんかでも使わないだろ、普通」
「た、確かに……?」
ぴりりとした感覚と押し込まれるような違和感は、麻酔でかき消す必要性を感じないほどかすかなものだ。終われば、すぐに忘れてしまうほど。
「なんで麻酔するようになったの?」
「注射でも君は痛いんだろうなと思ったからね。引っかき傷が移るなら、それが移ってもおかしくない」
「ふぁ!?」
いつの間にやら隣に座ってくれるようになっていたスティーブンを見上げ、私はソファの上でもんどりうった。顔を隠して肘掛けに体重をかける。唐突にイケメンな発言をするのはやめていただきたいものだ。私の心によろしくない。
「惚れた……」
くぐもった声で言うと、呆れられた。
「簡単だなあ」
転びまくって起き上がれない私が悪いのだろうか。転ばせるほうに原因があるのだと、私は思う。

しばらくそのままでいたが、「あ」と顔を上げる。ヘルサレムズ・ロットで最低視聴率を誇る連ドラが始まった。異界人と、ネゴ、というらしい生き物の恋愛物語である。5分に一度爆発が起き、10分に一度人が死ぬ。それを毎日繰り返しているのだから、月9に慣れた私には退屈で、芸のない作品である。
それなのになぜ欠かさず見ているかというと、助演の俳優が格好いいからだ。人間の姿をした彼はその実、形態変化の得意な異界人だそうだが、なぜその姿に変化したのかと感謝を捧げたいほどイケメンだった。ヒロインは彼を恋人にすればいいのに、アタックをかけるそのキャラクターを何度も袖にしている。見る目がない、と心から思う。
「この人がカッコいいの」
「君の好みはあっちにいったりこっちにいったり忙しそうだな」
「え、どういうこと?」
「僕には似てない」
「なにその発言!?」
スティーブンの容姿がどストライクなところは否定しないが、まさかの台詞に震え上がった。
比べるまでもなく、テレビの中でビンタされたのにめげずにヒロインを追いかけるキャラクターは、スティーブンとは異なるタイプだ。だが、女子とはそういうものではなかろうか。
流行に左右され、次から次へとめまぐるしく現れる美男子に振り回される。好きになる顔の傾向はあるかもしれないが、人が増えれば増えるほど、新たな需要が開拓されてゆくのである。
「『好き!』と『カッコいい!』は違うんだよー。たとえばスティーブンとは正反対だけど、ザップさんの顔もカッコいいって思うし」
あそこまで整ってはいないが、元カレにもああいう方向のイケメンはいた。性格は案の定というべきかチャラかった。ちなみに、キスもしないうちに3日で終わった。
「あなただって思わない?超ツボな顔の女性と付き合うとは限らないでしょ?」
「目的があるなら、顔は重要じゃないからね」
「仕事の話じゃないです!!」
経験豊富でたまに夜が長引くからこそ、彼に恋バナは向いてなさそうだ。
「ていうかー、あなたの好みの顔ってどんなのなの?」
「好み、ねえ。考えるのも忘れてたなあ」
仕事休みなよ、と思いはしたが言わなかった。ヘルサレムズ・ロットは一瞬たりとも眠りに落ちず、それを守る秘密組織は忙しい。
ソファの上でにじり寄る。ドラマの中では好みの俳優が、飽きるほど口にした本日二度目の愛の告白をヒロインにぶつけているところだったが、それよりもこちらが気になる。
「たとえばたとえば、バーに入るとするでしょ?」
「うん」
「ひとりの女性が、ちょっと離れた席に座ってるワケよ。寂しげに!」
「ありがちだ」
「彼女がどんな顔面だったら『声かけよっかな』って思うの?」
「うーん……」
想像してくれるところが律儀で、好かれるポイントなのだろう。ザップさんが持ちかけたら無視しそうではあるが。
答えを待つ。スティーブンは困ったように片手で髪をかきあげた。気構えもなくその無造作な仕草を直視してしまい、私は心臓が口から飛び出すかと思った。
「たぶん、僕もひとりで飲みたいから放っておくと思うけど」
「好みなら話しかけるでしょ!?」
「君は話しかけそうだ」
「気になるもん。ねえ、どんな顔?傾向で言ったら、私の前の顔と今の顔ならどっちがマシ!?」
結構重要だ。なにせ私は『顔がなければ最高』な女。ハタチまで生きてきて、そんな極悪非道な評価を下されたことなぞなかったので、あれはおそらく一生忘れられないだろう。変身後は自分でもうっとりするほどの美人であったし。あのレベルを求められたら、どうしようもできず困り果てて落ち込みそうだ。
スティーブンは私の顔をじっと見てから慰めてくれた。
「どっちがマシ、というか、顔はともかく表情は同じだからどっちも見てて面白いよ」
「おっ、おも、面白い……?」
私が望む答えと違う。
面白い、って、美女だったときも内心で『こいつ顔面は整ってんのに言動が伴わねーな』と思われていたのか?面白いとはなんだ。声がうわずった。
「見たときは顔が違って驚いたけど、ここじゃ君が思うほど幻術は珍しくない。慣れてるよ」
「慣れるものなの!?」
「姿をコロコロ変えて逃げるやつらがいるんだから嫌でも慣れる。……面倒なんだよなあ、そういうことされると。ホントに」
「そ、そうですか」
パパのあれもその類だったのだろうか。
「……じゃなくて顔!顔の好み!」
流されるところだった。
追及の手を復活させると、彼はきょとんとする。
「前のほうが好きって言ったら君、どうするんだい」
「そうなの!?」
「たとえばだよ」
ドラマは佳境に入り、また爆発が起きていた。
たとえば、と言ったってそんなの、よく考えなくたってどうしようもない。あの状態には逆立ちしても戻れない。
「そ、そんなのショックだし……、私を好きになってほしい以上、諦めてもらうしかないよね?」
「うん。なら、聞く意味ってあるかな」
「だって知りたい……」
一応、仮想敵を知っておかなければ対策も打てない。現実を見るという意味でも、どこかでその特徴と似た女を見かけるたびに『こ、この顔か』と自らを戒めることも大切ではないかと私は思うのだが。
「ああそう。じゃあ君の顔が好みだよ」
「かつてないほどテキトー!!どう考えても嘘でしょ!?どんなバカでも騙されないよ!」
「本当に興味がないんだから仕方ない」
「仕事は人をおかしくする」
「というか君も、俳優とは違って、僕の顔だけが好きなわけじゃないだろ?」
「え、うん、でも顔も好きだよ」
「知ってるよ」
日頃から見つめまくっているものね。
確かに、容姿がまずど真ん中を貫いてきた。否定はできない。だが、ここに至るまでの山あり谷あり棘あり騒ぎありを乗り越えて、どんどんと彼自身を好きになった。今では抜け出せない領域にまで沈み込んでしまっている。そんなところで、重篤な恋愛患者の出来上がりである。
「そういうものなんじゃないか?ただ単に顔のつくりがどうっていうより」
「……は、はあ」
「言いたいこと伝わってる?」
「伝わってない」
「たとえば普通の顔の相手だったとしても、相手を好きだと感じればそれが好みに思えてくることもあるって話」
きざだ。レディ・キラーとは彼のことだ。彼でなければ許されないハナシだ。
正直にバカを露呈した私に懇切丁寧な説明をしてくれたイケメンは、「ドラマ終わるよ」とテレビを指差した。
「……思えたことあるの!?」
しかし二拍置いて私が反応したのはそこであった。まるで経験談のような語り口に胃が跳ねる。掴みかかりそうになる手は手で押さえつけた。実に理性的だ。
イケメンはさらーりと言った。
「あるよ」
「えええー!?」
我慢できずに飛びかかり、飛びかかってから慌てて離れた。ウザがられそうだし、自分も羞恥で自爆する。危ないところだった。
「うっそー! いつ?誰?お仕事関係の人?付き合ったの!?好きなの!?本命いないって言ってたじゃん!」
「よく憶えてるなあ君。でも確か、あのときは『見られて困る本命はいない』って言ったんじゃなかったかな」
「そっちのがよく憶えてる!!」
日々お仕事に忙殺されるサラリーマンモドキなのに、そんな細かい言い回しまで記憶しているとは、たびたび思うが侮れない。
うるさいと言われる覚悟で突き進む。この話は無視し難い。
「ね、ねえ、その人と付き合ったの?」
「付き合ってないよ。最近のことだし、僕も自分の気持ちがよくわからない」
「わか、わからない!?好きかどうかが!?」
「そう」
「自分に正直になりなよ!!恋だよ!……なんで私はあなたの恋を応援してるの!?おかしくない!?」
「おかしいと思うよ」
「だよね!!」
容量を超えて頭が内側から砕かれそうな話題で口が狂ってしまったのかもしれない。
とても焦って冷や汗がすごい。
「え、ええ……えー……、恋してるの……スティーブン……」
「そんなつもりはまったくないんだけどなあ」
「恋は『する』ものじゃなくて『落ちる』ものらしいよ。スティーブンなら大丈夫だよ、すごいイケメンだし。優しいし。頭良くてカッコよくてテクニシャンとか最高じゃん」
「だから、君はなんで僕の恋愛を応援してるんだ?」
「なんでだろうね!?」
乙女心は複雑なのである。それはもう、本人ですら理解できないほどに。
がっくりと肩を落としたが、いやしかし、と思い直す。
彼だって自分が何を考えているのかよくわからないと言ったのだし(……にわかには信じがたい)、まだ望みはある。フられない限り、諦めるのは早い。寝取りは絶対に嫌だけど、まだ成立してないようだからセーフに違いない。横恋慕ともまた違う。一方通行片想い。うむ、これならいける。
「でも好きだから、私は諦めないよ!」
「ああうん、知ってるよ」
「以心伝心!」
ドラマでは、私の好きな俳優の役が爆発に巻き込まれて救急搬送されていた。
「私にもなにかアドバイスできることがあるかな?」
「というと」
「えー、うーん……」
デートプランや口説き文句なんぞは、私ごときの講釈は釈迦に説法。彼はよく知っているはずだ。確実に、私よりも知っている。実際に体験してわかったが、私の大人ぶった恋愛はすごーく可愛らしいおままごとのようなものだったらしい。ステップを数段飛ばし、ものすごい世界を目の当たりにしてしまったものだから、それなりに場数を踏んできたつもりの自信が粉々である。合コンとは何だったのか。盛り上げるのがうまくなればいいというものではない。
では私は彼に何ができるか。言い出したのは私だが、これにはちょっと悩んだ。何もなさそうだ。
「……あ!」
ぽんと手を打ち鳴らす。
「私、恋愛相談とかよく受けてたよ!乗ってあげようか!」
頭が軽すぎてまともなアドバイスができたためしがないが。
スティーブンはうんうんと気の無い相槌を打った。
「じゃあ困ったら頼むよ」
永遠に困らなそうだ。



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