13


昼食は、レオナルドに買い物を頼んだ。「適当に買ってきてくれ」と多めの札を渡したのは、この困窮する少年におつりくらいなら渡してもいいかと思ったからだったが、彼はバーガーショップの紙袋を提げ、きちんと全額、スティーブンの手のひらに金を渡した。
「君のぶんは?」
「僕のもありますよ。ザップさんとツェッドさんのぶんもあります。あ、自分で買ったので、心配しないでください。これからちょっと勝負してから食べるんです」
「勝負?」
レオナルドは、勝手に手をつけられないよう大事そうに紙袋を抱えたまま大きく頷いた。ローテーブルに、ツェッドがどこからか引っ張り出してきた折りたたみの盤を広げている。深緑色の台座にマス目の引かれたそれは真ん中で開き、正方形になった。小さな器に丸いコマが積もる。
「オセロか」
「はい。勝ったほうが新作のポテトを食べられるんです。ザップさんを言いくるめるのに苦労したんですよ。あの人、関係なくなんでも食べようとするから……。ツェッドさんが抑えてくれて助かりました」
「仲が良さそうで何よりだよ」
席に戻ったレオナルドが白を選んで中央にふたつ、ツェッドが黒を同じく中央にふたつ置いた。バーガーの包みをはがしながら、勝負の始まりを観察する。
「クラウス、興味があるか?」
「ああ、最近はやらないものでね。彼らなら、良い勝負になりそうだ」
「食い物がかかってると、少年も本気になりそうだしね」
パソコンでの作業が一区切りついたのか、クラウスも席に目をやる。
気が向いたのでスティーブンは、バーガーとドリンクを持ってレオナルドの隣に腰を下ろした。少年がびくりとしたのは、まだスティーブンとの距離感に慣れていないためだ。何度か食事をともにしたが、立場の違いはもちろんのこと、性格が掴みきれず接し方に困る。
「レオくんが先攻でいいですよ」
「じゃあ……」
ぱちりぱちりと、序盤の進みはリズムがいい。ザップはソファの下でぐるぐる巻きの簀巻きにされている。簡単に抜け出せるはずの彼が甘んじるということは、賭けの行方を多少は面白がっているということに他ならない。夕べのクスリが抜けず、だらけているだけかもしれないが。スティーブンが長い脚を伸ばしてテーブルの骨組みを避け、転がった背中をつま先で蹴ってみると、ザップは「ふへ」と気の抜けた声を出した。クスリが抜けていなかったらしい。それでも戦いに出れば一騎当千の働きを見せるのだから、こいつはよくわからない。
「うーん……」
次第にレオナルドの手が止まり始めた。覗くと、盤面では黒が優勢になりつつある。四つ角を取れば有利になれると信じる少年は、ツェッドの真面目な搦め手に惑わされていた。
「助言してやろうか、少年」
「え!」
レオナルドが弾かれたようにスティーブンを見た。ツェッドに異論はないようで、「僕は構いませんよ」と余裕の表情だ。
「……う、でもいいです。僕が自力で勝たなきゃ」
「そうかい」
無理強いすることはない。食中の暇つぶしとして、スティーブンは自分なりに『勝ち』の手を探すことにした。
「スティーブンさんはオセロはするんですか?」
「ん?なぜだい?」
「遠目だったのに、すぐにこれがオセロだってわかったみたいでしたから」
ボードゲームはたくさんあるが、そのなかでも距離があるのに一目でオセロであると見抜いたのなら、馴染みのある遊びなのかもしれない、とレオナルドは思った。ライブラ副官とオセロの組み合わせは馴染むようで違和感があり、しっくりは来なかった。
なんでもないことのように、スティーブンは答えた。
「ついこの間、プレイしたんだよ」
「どなたとですか?」
食いつきたかったのはふたりとも同じで、口を開いたのはツェッドだった。コマを置く手によどみはなく、見る限り、このままではレオナルドが負ける。
うなり始めた少年を横目に、スティーブンは背凭れに身体を預けた。
「彼女だよ。異世界から来た」
ツェッドは首を傾げた。
「ああ、さん……でしたか? オセロなんて持ってたんですね」
「毎日ひどく暇みたいでね。帰ったら手作りのオセロがあって、ひとりでやってた」
「て、手作り……」
思わず、盤面のマス目を見る。これを正確に引くのは面倒だっただろう。しかしそれをやり切るほど、彼女は暇だった。
スティーブンもそれはわかっているので、執念に呆れると同時に可哀想になったものだ。
だからだったか、寝る前の時間をわずかに削り、彼は彼女に付き合ってやった。
あのときの彼女の表情は見ものだった。ぽかんとしてからパッと華やぎ、喜びのあまり、椅子を蹴飛ばしそうになっていた。
レオナルドとツェッドのような賭けを持ち出したのも彼女だ。彼女は『わ、わ、私が勝ったら手を握ってください!手を!あなたのその手で!!』と鬼気迫る勢いで顔を赤くした。実に懲りない。
「じゃあ、スティーブンさんが勝ったらさんに何をしてもらうことにしたんですか?」
「『僕を待たずに大人しく寝ること』」
「待っててくれてるんですか!?」
「本人はそんなつもりじゃないらしいけど」
「健気、なんですね」
「……うーん……」
健気というより、よほどあのソファの寝心地がいいだけだとも思うのだが。シャワーも浴びて夜も更けたならさっさとベッドに入ればいいのに、と思うスティーブンは間違っているだろうか。
レオナルドの色が巻き返す。ツェッドが次の手を考え込んだ。
「強いんですか、さんって?」
「少年、彼女が僕より強そうに見えるか?」
一度彼女と会ったことのあるレオナルドは、彼女の言動を思い出した。くるくる変わる表情といい、大げさな反応といい、レオナルドの隣でストローに口をつけてアイスコーヒーを吸い上げる男より勝負強いとは考えられなかった。聞き様によっては自信に満ちた傲慢ともとれる男の台詞は、決して驕りではないのだろう。事実を事実として述べただけだ。
「……見えないです……」
答える声が小さくなったのは、彼女への申し訳なさのせいである。
「どんな方なんです?」
「俺らだけ見たことねーんだよぉ」
ツェッドに続き、床から現実味を失った声が上がった。しがみつかれ、汚らわしそうにツェッドが足をよける。
「私もありません」
「あ、そうか、チェインさんも……」
ツェッド側から盤面を覗き込んだチェインは、ちらちらとスティーブンに視線を向けた。スティーブンは「ああそうだっけ」と不思議そうにする。
「でも、興味もないだろ?」
「ありやすよォ!異世界のオンナのコッスよね!?」
突き出したテーブルを器用に避け、舌の回らないザップが身を起こした。表には出さなかったが、これにはツェッドもチェインも同意する。
「よりにもよって、なァんで俺らだけハブなんスか!陰毛野郎が見てて俺が見てねーっつうのが納得できねえ」
「なんスか喧嘩売ってんスか。あんたにだけは会わないほうがさんも幸せですよ」
「はーあああ?テメーにそのチャンのナニがわかるんだっつの。童貞はこれだからよぉー。サミシーなら俺が慰めるーくれーの口は叩けよ」
「スティーブンさんの前でよく言えますね!?豆粒だった尊敬の念がすべて消えそうですよ!!」
「レオくんの番ですよ」
「あっ、すいません」
慌てた彼が白を置いたのは、あまり好ましくないマスだった。ツェッドのみならず、スティーブンもチェインも『あ……』と内心で呟く。レオナルドも直後に気づいて頭を抱えた。
「犬女も気になるだろォ、なぁ」
チェインの声音は冷ややかだ。
「気にはなるけど、銀猿と同じに思われたくない」
「ンだとコラ」
「それで、どういった勝負模様になったんですか?」
間に挟まれるツェッドは、うんざりした顔でスティーブンに続きを促す。スティーブンはもう話を終えるつもりだったのか、ゴミをまとめて席を立ちかけたところで呼び止められて腰を戻す。やけに視線が集まってるなあ、と彼に似合わぬのんきな感想を抱いた。
「まあ、想像通りだよ。元の世界で何度もやったことがあるらしくて慣れてはいたけど、そのくらいだ」
「やっぱりスティーブンさんは強いんですね」
「彼女が弱いだけじゃないかな」
「あなたから見たらみんな弱そうですけどね……」
このメンバーの中で彼に勝てるのはリーダーだけなような気もするし、互角に戦えるのも反発心と気合とプライドのために負ける自分を認められないK・Kだけではないかと、レオナルドは考える。
「買いかぶり過ぎだよ。君たちよりは強いだろうけど」
軽やかに言うものだ。レオナルドはひくりと笑みを引きつらせた。
ザップは怯まない。
「賭けオセロで頭脳明晰な副官さんに勝ったらここに連れてくる、とかどうスかね」
「お前、なんでそんなに会いたがるんだ?」
「気になるじゃねースか!」
「嫌だなあ」
ぶつりと縄を切り、ツェッドを押しのけて椅子に腰掛けると足で床をガンと踏み鳴らす。
「気になるよなぁ、魚類クンに雌犬チャンもよ!?」
「なんですかやめてください」
「気持ち悪い呼び方しないで」
ツェッドはオセロの盤をザップから離した。浅黒い指がツェッドの器からコマを取り出し、白黒と裏返してから爪で弾いて飛ばす。回転しながら宙高く浮いたので、チェインが掴まえてツェッドに返してやった。ツェッドはそのコマでレオナルドの白を黒にひっくり返す。
「この人が家に置いてるオンナのコだぜ、オンナのコ。なァちんくしゃ、テメーの説明じゃ全ッ然伝わって来ねーし、俺らだって見たいんスよ!この人の裏っ側にどんなコがいるのか見ておかねーとやる気も出ねーっつーか。この人が怪我したらどんなオンナのコが釣られて怪我すんのか知っとくのと知らねーのとじゃモチベが違うっつーか!?」
「僕はお前に守ってもらわなくていいんだが」
「いいから見してくださいよォー」
今度は前のめりで手を揉み合わせる。変わり身の早さには辟易したが、頷ける部分もあった。
特にチェインなどは、別の意味でも気になっている。このスティーブンがやけに気を配る女性は、どんな人物なのだろう。ともすれば、気を配るだけではない。それだけでは収まらない何かを感じることもあり、そわそわと落ち着かない。スティーブンはひと言たりともそんなことは匂わせていないのに、チェインの勘は彼女に囁いた。
おそらくきっと。
きっと。
過ごす時間や生活の距離の話ではない。仕事もあまり関係ない。
特殊な事情のせいもあったのかもしれない。しかし今、チェインとスティーブンはひどく遠かった。
彼はどこか知らない場所へ、チェインの届かない場所へ進もうとしている。
「……こいつに見せたら汚れそうですしね?」
疑念を確信に変えるため、おそるおそる探りを入れる。真実は見たくない気もしたが、追求せずにいられる性格でもない。
スティーブンは、チェインの気持ちに鈍かったのと同じように、自分の感情にもそこまで理解が及んでいるわけではなさそうな様子だった。
「あまり気分は良くないかな」
この人はこういうところがあるのだよなあ、とチェインは思った。もどかしいながらも、そういうところも好きなのだけど。
女の勘というものか。
ここにきてチェインは確信を得た。
思いのベクトルがお互いに向いているのかはわからない。本人も、踏み出したことに気づいていないかもしれない。
だからこそたぶんその彼女も、彼のこんな言動に翻弄されているに違いない。
まったくもってその通りだった。


レオナルドとツェッドの賭けオセロは、ザップのひと薙ぎでばらばらに散らばった。「あー!」と悲鳴が上がる。もみくちゃになる乱闘が始まりかけたが、原因の男は手早く盤を整え直す。
「おい魚類、雌犬、陰毛!テメーらちょっとこっち来い」
「ええ?嫌ですよ!」
「見たくねーのかバカヤロウ!」
「あなたひとりでやってくださいよ」
「っせーな、いいから黙ってセンパイに従え」
ぎゃあぎゃあと騒がしい一画にいるのが面倒になり、スティーブンは今度こそ席を立った。
しかし、ポケットに手を入れた彼の背中に、彼にとってはまったく予想外の人物から声がかかった。
「待ってください!」
「チェインさん!?」
無言で瞠目した表情は幼く見えた。
チェインは椅子から降り、彼女自身も信じられない積極さで、スティーブンの腕を引っ張りソファに座らせた。振りほどくわけにもいかないスティーブンはされるがまま、黒色を与えられる。
「……4人がかりはずるくないかなあ」
「旦那を呼ばねーだけリョーシン的ッスよ」
「む、私が必要なら、今なら手が空いているが……」
「は!?まァじかよ!勝利の女神サマは俺たちにメロメロじゃねえか!」
「おいおいクラウス、勘弁してくれよ……」
5対1。
微笑むギルベルトが審判をつとめ、四面楚歌のゲームが幕を開けた。



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