07


誰もいない家でひとり、遠目に窓の外の空を眺めていて、はた、と気づく。
私がここにいる意味って、何?
スティーブンにとって、私は害されてはいけない存在だ。よくわかる。私は脚を組んだ。馴染みがなくてすぐにやめた。
私にとってもスティーブンは害されてはいけない存在だ。あんな修羅場を乗り越えていそうな人なら大怪我だってするだろう。そのとき私が傷を共有してしまっては発狂するかもしれない。
だがそれは、私にどうにかできることではない。
私が好き勝手に動いて困るのはスティーブンだ。私ではない。異世界人の寿命(……と言っていいのか?)がひどく短く、なぜかほぼ常に命の危機に晒されているというのは無視できない。それで私が死んで困るのもまた彼である。試したことはないし試すつもりもお互いにないが、どちらかが死ねばもう片方も死ぬ可能性がある。彼は私の死を見過ごせない。だから私は守られている。この安全で高レベルなイケメンの家で。
「……ううん」
でも、勝手に動き回るのも、悪い気がする。私はまったく悪くないのに、冷ややかかつ忌々しそうなスティーブンの表情を想像すると芯が冷える。
私はスリル満点な一目惚れを果たし、彼のことを好きになったし、今もちょっとだけ、ちょっとだけ!本当にちょっとだけ、好きだ。思わせぶりな態度を思い出しては舞い上がっている私の『ちょっと』は信用がならない。
完全にスティーブンの都合だが、お世話になって守ってもらっている。ご飯はおいしい。怖いけどいい人だ。ベッドの寝心地もいい。
不自由で理不尽ではある。冷静に考えると、私は少しくらい散歩に出かけたって許されるはずだ。
「……ううん」
でも、あえて彼の采配に逆らって自分から危険に飛び込む理由もない、のか。
ここにいれば安全なのだ。何ひとつ不自由なく。きっと頼めば、欲しいものも手に入る。
自由気ままな大学生、そして我を通せたひざまくら係としては不満もある。
耳元で嘘っぱちの好意を囁いたイケメンとの出会いを追想し、馴染んだソファに倒れ込んだ。望みなどこれっぽっちもないうえに恐ろしさすら植えつけられたのに。私は自分のうつけぶりに呆れ果てた。

何度目かになる深夜の帰宅。
この日もヴェデッドさんを見送ってからソファでうたた寝に勤しんだ私は、明かりがついたのを感じて「おかえりなさあい」と間延びした声で家主を迎えた。なぜこんなことをしているのか。別に彼の帰宅を待っているわけではない。やけに眠くなり、シャワーを浴びる前に休んでおきたくて横になる。そのうちに仕事を終えてくたくたになった(……なってるのか?)社畜が帰ってくるという流れだ。
汗を流したイケメンは何を身につけてもイケメンである。この大人の魅力にやられるのだろう。かくいう私も自業自得の被害者だ。
彼はテーブルの上を指差した。
「あげるよ」
白い箱があった。前に見たことがある。ケーキが入っていた箱だ。
「わ!ケーキ?」
「この間の店のね」
「開けていい?」
「うん」
相変わらずひとつしかない。洋栗のモンブランだった。てっぺんの栗がつやつやでおいしそうだ。
キッチンからフォークとお皿を持っていそいそと席に着く。紅茶を淹れたほうが女子力が高いかもしれないとは過ぎったが、別段飲み物にこだわる性格ではなかったのでそのまま手を合わせた。
「いただきます」
優雅な大人は寝酒に手を出している。
深夜の甘いものは美容の最大の敵だ。しかしおいしいものはおいしいし、せっかく買ってきてくれたのだから食べない選択肢はない。
一瞬の躊躇もなく食べだした私を、彼は観察するように見つめる。不躾ともとれる視線に視線で応えると、「なんでもないよ」と言われる。
ところで、なぜ急に。不思議になったのは自然なことだろう。
「出会ってから何日目記念日とか?」
「悪いけど、さすがの僕でも憶えてないなあ。これはちょっとしたお詫びだよ」
「お詫び?」
「そう。痛かったみたいだから」
腕を指差される。
糖分を摂取したにも関わらず頭の回路がうまく働いていないとバレ、言葉が追加された。
「爪痕」
「あ、ああ!……そうそう、痛かった!」
思い当たり、嬉しくなる。
「えー、それでケーキ?律儀!モテる男は違うなあ。私の元カレに『お詫び』とか言ってケーキ買ってきてくれた人なんていなかったよ。みんな『めんご』で終わり」
「どんな悪いことをされたんだい?」
「約束ブッチとか、借りパクとか」
「モテるとかモテないとか、そういうレベルの話じゃないんじゃないかな」
「でもテスト写させてくれたし、代返してくれたし、バイクの後ろに乗せてくれたよ。つまんなくてひと月くらいで別れてばっかだったけど。スティーブンは出来すぎてる。ケーキすごいおいしい」
「この流れで褒められてもあまり嬉しくないなあ」
スティーブンは上手に脚を組んだ。
「何飲んでるの?」
「イタリアのお酒」
「どんな味?ひと口飲んでみたい」
「寝酒は健康に悪いからやめたほうがいいよ」
私の身体を気遣ってくれているのか、自分のお酒を飲ませたくないのか、グラスを渡してくれる気配はなかった。
電源のついたテレビでは、落ち着きのないニュースが画面を光らせる。
「あのですね、スティーブンさん」
わざと丁寧に話しかける。
あまり重くならないよう、心がけながら。
スティーブンはテレビを見たままだ。
「私がここにいなくちゃいけない理由って、私の命が寿命……みたいな意味で危ないってこと以外は、私的には特にないよね?スティーブンの都合だけだよね?」
「うん」
「え!?うん!?」
「今気づいたのか?」
「う、うん」
しっかり理解してここにいたのかとばかり、と言ってスティーブンはテレビから目を離した。
私はというと、いとも簡単に認められてしまってびっくりしていた。言いくるめられるかもしれないと浮かべた予想は綺麗に裏切られた。ヘルサレムズ・ロットに来てからは自分の甘さを突きつけられ続けて心が折れそうだ。
「僕としては、君が勝手に出ようとするならもう少し穏便でない手段に訴える準備はできてるんだ。あのときは急なことで無理だったけど。今、こうして君をここに置いているのは僕の移動範囲を増やしたくないからで、どうしてもと言うなら、それはそれで構わないよ。家が軽くなるのは大歓迎だ」
「……で、出ません」
「それならそれでいいよ」
あっさり言われる。顔の向きはテレビのほうに戻った。ニュースキャスターが、遠いストリートのおすすめゲテモノグルメを紹介している。腹に串を刺され生きたまま丸焼きにされる、目玉の飛び出したカエルの料理は見たくなかった。
「家に他人がいてもいいの?」
おそるおそる訊ねる。もっとも、どう答えられてもどうにもならない。答えいかんによってはギスギスするだけだ。
彼はやはり唇だけを動かした。
「もちろん楽しい気分じゃない」
「だ、だよねー!」
これは予想通りだった。
「我慢がならなくなったら面倒でも別の場所に押し込むよ」
「……ええー……」
「問題がないうちはこのままだ」
「何したら問題になる?夜這いはしません」
「大人しくして、僕のスペースには入らず、死なないでいれば今のところ要求はない」
「わ、わかった。……わかりました」
今のままの生活を続けるのが一番。暇で、メリハリがない毎日だ。だけどどこか別の場所で絶対に外に出られないような環境に置かれるのは絶対に嫌だ。不穏な香りしかしない。笑わない目は震えをもたらす。
「怖い!笑って!」
スティーブンはタダで微笑んでくれた。家でもサービスを提供しなくてはならない彼の心情を慮るといたましい。
「すみません」
「うん」
食べ終わったのだし、訊きたいことも訊いた。笑みまでもぎ取ったのだからもういいだろう。
私はキッチンで食器を洗い、拭いて片して、明かりを消した。
「おやすみなさい。ケーキすごいおいしかった。ありがとう」
「またあるかもしれないけど、そのときは我慢してくれ」
「うっ……、うん……」
反発できない凄みがあった。



0730