01
見知らぬ場所に座り込んでいた私は、盛大なクラクションに急き立てられるようにして、つんのめりながら歩道に駆け寄った。このクラクションが非常に善良なものであり、本来ならばここが問答無用で轢き殺されていたとしてもおかしくない世界だったと知ったのは3日後のことだ。
異世界トリップを果たしたその日、私はお風呂上がりのキャミソールとショーツだけの姿だった。
結論から言うと幸運だった。一車線が渋滞を起こす街の道路を走り抜けようとした黒塗りの車が足を止め、バックで私のそばに停車する。あれよあれよという間に車内へ引きずりこまれ生命の危機すら感じたが、中で待つでっぷりとした異形の中年男は私の格好を視線で舐めまわし、ニコリと笑ったのだ。
「なかなか良いじゃあないかね。顔さえなければそれなりのものだ」
かなり罵倒されたような気がした。
そうら、と指先を頬に突きつけられる。頭部から飛び出す幾本もの触手に気をとられた隙に突き立てられた人差し指が空洞になり、そこから粘液のようなものが飛び出した。顔面を直撃したゲル状のものは薄い膜となり、私の肌にぴたりと吸い付く。燃えるように熱く、シートの上でのたうちまわった私の背中を優しくたたく手があった。
「私は顔面が整っていないと気が乗らなくてね」
かなり罵倒された私に鏡が渡される。鏡面には、とても私とは思えない美女がいた。
言葉を失った私のキャミソールの中に手を差し込み、異界の男はのんびりした声で笑ったのだった。
「大丈夫、大丈夫。ただ少し、安眠の手伝いをしてもらうだけさ。給金は払うとも、ああ、払うとも」
処女の恥じらいなどは数年前に捨てていたので曖昧な発言でも不愉快な言葉の軸を読み取れ、意味がわからない状況に嫌悪感が走る。
しかし予想に反し、男の要求は実に平穏なものだった。
「私を『パパ』と呼んで、毎晩ひざまくらをして、丁寧に髪を撫でてくれたまえ」
柔らかそうな表皮に覆われ、触手を蠢かせる男の髪がどこにあるのかはさっぱりわからなかったが、どうやら私は衣食住を保証される立場に置かれたらしい、と察し始めた。
うむ、パパとの生活は実に楽。
日付を指折り数えて頷く。今日も今日とてパパは私の膝の上に頭を乗せ、私がテキトーに耳のあたりを掻いたり触手を撫ぜたりすると身を震わせて喜んでくれる。これで日給ジャスト800。相場がわからないけど、すごい高いらしい。服もご飯も寝床も用意されているので、すべてが私の懐に入る。なんてボロいバイトなんだろう。
パパはニコニコしながら、寝物語でも聞かせるみたいに、私に色々な話をした。いまやブロンド美人と化した私の頬に頬ずりし、ちょっとキモいなと思って軽く押しのけても気にしない。
パパの話はショージキに言ってまったくさっぱりわからなかった。ただなんとなく、重要な秘密を語っているんだろうなーという気はしていたのでキーワードは覚えておく。……というか、何度も同じ話をされたから覚えちゃったって言ったほうが正しいかもしれない。パパは今日はねえ、から始まる一連の流れは痴呆老人かと疑いたくなるほど重複していた。
そんな潤いのない生活を続けるのにも飽きてくる。ねえパパ、わたしパパとデートに出かけたいなぁ。甘ったるく囁くのは、自慢じゃないが大得意である。オッホ!と喜んだパパは私に特上の服を与えてくれた。アクセサリーがないことに内心でがっかりしていたら、アクセサリーは現物を見て選ぼうな、と肩を抱かれたので吐き気を催しながら嬉しそうに微笑む。できるだけ高そうなやつを買ってもらおう。
逃げることは考えていなかった。悪くない生活だったし、元の世界に未練もない。毎日、あー次の恋人は料理上手がいいなー、とか、テスト写させてくんないかなー、とか、そんなことを考えて過ごしていただけだし、まあ、最近は現実に未練のある人間のほうが珍しいのではないだろうか。たとえトリップ先がドがつくほど最悪に危険な場所だったとしても、厳重に守られて悠々自適な生活を送れているなら何の関係もない。浮遊する異界生物のおかげで時たま大窓が大破するのは怖いけど、破片が飛び散らない場所にいればいいのだ。
車から降りた場所が、数年前に何と呼ばれていたストリートだったのか、私は知らない。きっとパパも興味がないだろう。ウゾウゾと動く虫に似た大型の生き物とすれ違い、人間とは明らかに異なる姿の店員にショーケースを覗かせてもらう。
この街の名前は、ヘルサレムズ・ロットという。
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何度目かのデートを済ませ、私は久しぶりにジャンクフードを食べたくなった。パパにおねだりすると、パパの趣味ではなかったらしく渋い顔をされたけど、ひざまくらを質に頬を膨らませて拗ねてみせると、パパ好みの顔の(……にさせられた)私には敵わなかったのか、パパはお札を私に握らせた。護衛をひとりつけておくから、安心して食べて、公園でも散歩して帰って来なさいという。疲れたらタクシーを拾うんだよ、と多めに握らせてくれたのでありがたく懐にねじ込む。この街のタクシーほど信頼できないものはないと思うんだけど、まあその辺は護衛マンに任せればいいか。
店の前でパパを見送り、サブウェイの敷居をまたぐ。ハンバーガーなんかも食べたかったんだけど、見覚えのある看板が懐かしくなったのだ。思えばこれが、私の人生の転機だった。いや、まあ、もっと前に異世界トリップなんていう最大の転機を迎えてはいたものの。
「オリーブ多めでー、玉ねぎ少なくして。あ、ドレッシングはオススメでいいや。おにーさんは?」
「自分は結構です」
護衛の男は飲み食いが許されないのかもしれない。難儀な仕事だ。
いらないという人に無理強いするはずもなく、ホカホカのサンドイッチを受け取った私はご機嫌で席に着いた。きらびやかなアクセサリーを身につけた私は明らかにこの場から浮いている。せいぜい見惚れとくといい。なにせ今の私の顔面は絶世の美女だ。何やら呪術をかけられたらしく、謎の粘液は洗顔してももちろん落ちない。メイク要らずの美貌はたまらなくて、自分の顔を忘れそうな勢いだ。なんかもう、忘れちゃっても問題なさそうだし。いいかなって感じがする。
食べきったところでトイレに行きたくなり、席を立つ。護衛がすかさず着いてこようとしたのには少し呆れる。仕事熱心なことだ。お給金はいくらくらいなんだろう、とゲスな疑問が湧いた。
ひとりでふらりとお手洗いに入り、グロスだけ引きなおして出る。そこで、私たちはぶつかった。
「おっ、と。すまない、大丈夫かい?」
前見て歩きなさいよ、と言いかけた私の口は自然と閉じていた。
顔を見た瞬間、身体中にトキメキが走る。ぐっと心臓を掴まれた気分だ。頬がカッと熱くなった。
「い、いえ、大丈夫。ごめんなさい、ぶつかっちゃって」
「僕が君にぶつかったんだ。君は悪くない。……あそこの席でサンドイッチを食べていたお嬢さんだよね?一緒にいるのは恋人?」
「え?あ、ボディーガード、……かな?」
「そう。……君って」
ドキドキとうるさい胸に手を当てる。やおら、端正な顔が私に近づいた。
「一目惚れって信じる?」
まさに同じことを考えていた私は、すっかり舞い上がって頷いた。よくわからんキモい中年男のひざまくら係でいては決して味わえない、イケメンとの色恋沙汰への突入に、のぼせ上がっていた。
完全に色欲に狂った私のことを笑わば笑え。ハタチという『何でも許される』ような気がしてしまう年頃と、非日常な出来事に巻き込まれまくって麻痺した脳みそがショートした結果である。
こっそりと連絡先を交換した私たちは、サブウェイに入店した時と同じような手口を使ってパパを出し抜き、何度も逢瀬を重ねた。そのうちにパパの仕事がより忙しくなったので「バーに出かけてくるね!」という名目で夜の街に繰り出し、護衛の男に今まで貯め込んだ金を握らせて、愛しの彼としっぽり行ったこともある。彼は必ず日付が変わる前に私と別れてしまうので寂しかったけれど、燃え上がった心と身体は抑制された恋の嵐にいきり立ち、止めようもないところまでやってきていた。
少しでも彼と一緒の時間を増やしたい私が、お酒のおつまみにとくだらない話を提供し始めたのも仕方のないことだろう。
話すことなど知れている。トリップ以降数ヶ月、新聞もろくに読まず、パパの周辺の人としか交流のない私がヘルサレムズ・ロットの株価に関する高尚な議論をぶちかませるはずもないので、自然と話題は『パパ』のことに向いた。
身寄りのない私を保護してくれた優しい異界のおじさま。そんな彼が毎晩のように語る、取引先や会社(……だか組織だかなんだか)の裏事情。彼はそういった話が好きだったようで、求められるがままポロポロと様々なネタをこぼした私は、イケメンが浮かべるうっすらとした笑顔の下に何が隠れているかも察さず、へらりへらりと楽しい夜を過ごした。
「もう会えない」と言われたのは、パパが瓦礫に押しつぶされる前日のことだった。
「どうして!?私のことが嫌いになったの?何がいけなかったの?もっとあなたを癒してあげられたら良かった?私はつまらない女だった?」
「そうじゃない。事情が変わってしまったんだ」
「事情って、何?私にわかるように説明してよ!」
いつの間にか私の目には涙が浮かんでいた。彼の胸を叩くたび、瞳からこぼれ落ちる。彼は私の背には決して腕を回さなかった。
ヘルサレムズ・ロットではこんな悲劇はありがちである。ごねた私の頭が吹っ飛んだり身体がちぎれたりしなかったのは、このイケメンが非常にまともだったからに他ならない。まあ、まともならこんな手段はよう取らないと思う気持ちもあるけども、倫理的にはたぶん、うーん、えっと、そう、それなりにまともだった。
「なんとか言ってよ、スティーブン……」
落ちた涙を追って視線が下に向く。革靴に雫がしみをつくっていた。
文句を重ねて面倒な女になるのは得策ではないとわかってはいるものの、理性では止められない激情がある。勢いよく顔を上げた私は、少しうんざりしたように顔を背けた男の、頬に目を惹かれた。そう、彼のそこには傷があった。ヘルサレムズ・ロットでは珍しくもなんともないだろう。だが何かが記憶に引っかかる。ヘルサレムズ・ロット。傷のあるイケメン。スティーブン。
もしかすると私は情報を引き出されていた?
漫画はパラ読みしただけだった。元カレが好きだったのに付き合ったそれきりで、読み返したりはしていない。
「スティーブン……、……スカー……フェ、イ……」
開けてはいけない扉が、ひとりでに開かれる。濃い色なのにどこか酷薄な色を孕んだ瞳が、探るように鋭く私を見た気がした。目が合う。何かを言おうとしたか、唇が開かれ、すっ、と距離が近づく。
本能的に、死ぬ、と思った。
私はとっさに手を振りかぶり、傷痕のある頬を思い切り叩いた。乾いた音がホテルの一室に響く。慌てて後ずさり、じんじんする手を庇うように身を引きながら、だらだらと流れ始めた冷や汗を感づかれないよう細心の注意を払った。えっえっ、だってこれ、このイケメンヤバくないか。他人の空似か?アニメも見ておけばよかった。ヘルサレムズ・ロットに来てここまで身の危険を感じたのは初めてだ。パパに守られる、甘ったるくて優しい世界にずっといればよかった。私が漏らした情報って、やばい、もの、なのでは。
今さらながら、とんでもなく焦っていた。
「お、お、女に、えっと、恥を、そう、恥をかかせるなんてサイッテー!も、も、もう知らない、大嫌いよ、え、ええと、あ、えーと、……か、顔も見たくない!それじゃあ!」
さっきまでの涙を引きずっていたのが良かったのか、激怒と屈辱で混乱した女の負け惜しみだと思ったのか。いや、彼はどちらだとも取らなかった。
横を駆け抜けて廊下に逃げようとした私の腕が素早く捕まえられる。ヒイッ、と情けない声が出た。そのまま壁に押し付けられ、胸をときめかせるはずの熱い眼差しが凍りつくようなものに変わっていることに気がついて消滅したくなった。
「君は今、何て言おうとした?」
「な、なにも。こ、この女ったらしの、えっ、えーと、イケメンの!か、顔と頭脳とテクニック男!」
「それだけあれば充分じゃないかな。……それで。違うよな?……『スカーフェイ』……、何だって?」
私は半泣きだった。今すぐ時空よ断裂しろとまで思った。
しかしこんな時に限って、ヘルサレムズ・ロットは平和だった。
「こ、……殺さないで……」
しぼり出すような懇願は、ちらりとも笑いを誘わなかった。
パパ、助けて。
心底から願ったのが良かったのかもしれない。
窓の外を大型の異界生物が横切った。風をきる圧が窓ガラスにヒビを入れ、次の瞬間、盛大な音を立ててぶち破れた。
ほんの僅かだったが、彼の気が逸れた。……ような気がした。なので私は思い切り腕から逃れ、ぶつかるようにドアを開け、閉まりかけのエレベーターに飛び乗って地上へ出た。頼れるのはパパの用意した護衛だけだったので、「早く出して!」と悲鳴みたいな声をあげて車に乗り込む。私から金を握らされた護衛は何も聞かずに車を発進させ、30分後、私は何事もなかったかのような顔でパパにひざまくらを提供した。
顔色が悪かったのをひどく心配され、その日はむしろパパに寝かしつけられるようにして眠りに落ちた。おやすみ。それが私の聞いた、パパの最後の言葉だった。
誰もいない与えられた私室で、やばいやばいどうしよう逃げなきゃ殺されるんじゃ、と不吉な妄想を繰り広げ歯を磨いていると、外から断続的な爆発音が聞こえてきた。嫌な予感がした。
馴染みの護衛が部屋に飛び込んできて、「お荷物をまとめてお逃げください!」とネグリジェ姿の私をせっつく。こりゃヤバいとこれまでに買ってもらったアクセサリー、宝石、貯めたお給料をカバンに詰めて、非常口から外に出る。じきに旦那さまもいらっしゃいますのでと言われたが、待つ必要は欠片もなかった。目の前で建物の軸がぶっとばされたように、天井と床がこんにちはである。砂塵と瓦礫の破片から逃れて大通りに出る。ほぼ全滅だな、という確信があった。とにかく色々な意味で死にたくなかった私はタクシーを拾い、安価な服屋に駆け込んで適当な服を買った。また場所を変え、一息ついてカフェに入る。こういう感覚は狂っていると思うのだが、ふと入りたくなってしまったのだ。熱々のコーヒーが飲みたい。落ち着きたい。そんな気持ちがあった。……そんな気持ちしかなかった。
うっかり誰かに肩をぶつけてカツアゲされるのは大困りなので、最高に気をつけつつ平穏に注文を終え、席に着く。めまぐるしい数ヶ月を振り返り、ああ、とため息をついた。なんて義理のない人間なんだろう、私は。パパに対しての申し訳なさはあるが、悪いことをしてんだろなーと薄々感づいていたこともあってあまり同情できない。様々な意味で薄汚れたお金を使うことに抵抗がないのも問題だ。なんて薄情でアホな女なんだ。本当に血が通っているのか心配になる。
熱いコーヒーはおいしかった。
お金はたっぷりあったので、近くの安いホテルに一時的な居を構えることにする。家を借りるには身分が必要だが、ホテルならまあなんとかなる。現住所を求められたので「家が焼けちゃって……」と嘘をついた。うろんに見られたが、泊めてもらえたのでよかった。
数週間も生活すれば、世間知らずの私も慣れる。言葉が通じるのは本当に僥倖だった。お金がギリギリになるまでバイトはいいかあと怠けて部屋でごろごろしたりテレビを見て過ごしたりしていたのだが、そんな日々が毎日続くとさすがに飽きるものだ。
ふらりと街に繰り出してみた。
適当に歩いていても私はあまり迷わない。これは自慢といってもいい。
ショーウィンドウに映る自分は相変わらず、見慣れたけれど知らない顔をしていた。
そこで気づく。
(あれ……、これ、顔見られたらアウトなんじゃ……)
まったくもってその通りである。なぜこの発想にもっと早く至らなかったのか、自分のボケた頭を問い詰めたい。
目が回るほど焦った私は、とりあえず手近なコーヒーショップでカプチーノを注文した。テラス席しか空いていなかったので、座って飲む。さらさらのブロンドもモデル並みの顔も、異形まみれの街ではあまり目立たないが厄介極まりない。なんていうか、ひしひしとヤバさを感じるのだ。
テラス席から外を眺める。
嫌なものというのは、見つけたくない時ほど見つけてしまうものなのだなあと痛感した。
車から降り立った長身を目で追ったのは、イケメンの香りがしたからだ。身のこなし、スーツに隠れる肉体、後ろ姿だけで見てもなかなかの匂いがする。イケメンで失敗したばかりなのに懲りない食指は働きっぱなしだ。癒しが欲しい、切実に。
視線に気づいたわけではないだろう。あたりを見回す動きの延長線上で、男は自然に振り向いた。
確実に、目が合った。
私が相手の顔を視認できたのだから、相手だってできているに決まってる。
自分でもこれ以上のスピードがあるか?と問いかけたくなる速度で顔を背け、トールカプチーノを置き去りに席を立っていた。直後、急いでカップを回収する。
こそこそと店を出て、反対方向に思いっきり走った。ホテルからは遠ざかるが仕方ない。ナントカナントカとかいう必殺技でも使って追いかけられてはたまらないので目立たないように。
もちろん、自分にそこまでの価値があるのか?と言われると答えづらい。価値というより、『芽』というべきなのではと思う。危険な芽は摘むに限る。自分の正体を、ひいてはナントカとかいう秘密組織的なものの存在を知っていそうな人間を看過することはできまい。
イコール、見つかったら殺される。
冷や汗しか浮かばない。
角を曲がったところで突如、顔面に熱が走った。ひび割れそうな痛みが襲い来る。面食らって立ち止まり、ふらふらと道端に座り込む。人通りの少ない細いストリートでは、私に声をかけてくるひとはいなかった。
顔を押さえて悲鳴を殺す。なんだ、なんだ、と混乱する一方、冷静に記憶を辿る自分がいた。
顔が、戻る。
張り付いていたものがはがれていく。日焼けの跡から薄皮がむけるように、何かがべりべりとはがれ落ちた。
どこにも何も痕跡はない。呼吸を整えながら、私は自分の顔に触れた。触ってもよくわからなかった。ただ、頬の横に垂れる髪がブロンドではなく、見慣れたものであるとだけわかる。
鏡を求めて立ち上がる。キ、とブレーキの音がした。
車からひとりの男が降りた。指の隙間から相手が見える。貧血が起きそうになった。大丈夫、大丈夫。顔が違う。髪の色も違う。具合が悪くなっただけの、他人にしか見えないはず。
男は親切そうな顔をして、私の肩を掴んだ。振りほどかれないよう、退路を断つのも忘れない。
大丈夫。大丈夫、顔が、違う。
「な、なんですか?」
声は同じだったので、できるだけボソボソと喋ることにした。
食えないイケメンは私に訊ねる。
「君とまったく同じ体型で、まったく同じ服装の女の子を捜しているんだ」
転げ回りたい気分だった。体型と服装。そうだった、そこはまったく変わらないんだ。遠目に目が合ったあの刹那だけでそこまで把握できるこいつが怖い。
言い訳をしようと口を開く。それよりも彼が早かった。
「それと、君、一目惚れって信じる?」
「ヒイッ」
聞き覚えしかないセリフに、恐怖で声が引きつった。
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